3つの初心

■「しろいろの街の、その骨の体温の」(村田沙耶香著、朝日新聞出版、2012年)を読む。
 小学3年生から中学3年までの少女の気持ちを描いている。この世代のことが良く分かる。今思う出してもそうか、と納得できる場面がある。
 すこしえげつない描写もあったが、著者の体験何だろうか?新しい感覚を吹き込んでくれた。

■3つの初心
 日経新聞からの抜粋である。
「初心忘るべからず」という言葉は、多くの方がごぞんじと思います。「能」を大成した世阿弥が著作「花鏡」に記したものです。この「初心忘るべからず」は、一般的には「初めの志を忘れてはならない」という意味で使われることが多いようですが、世阿弥の意図は、単に「最初のころの気持ちや志を忘れるな」ということだけではないそうです。
「是非の初心」とは、自分の原点としてその仕事に取り組み始めたころの、右も左も何も分からなかったような未熟さを、基準としていつまでも頭に刻み込んでおかなければならないということです。
 「時々の初心」とはある程度その仕事にも慣れてきたころの「自惚(うぬぼ)れ、驕(おご)り、甘え、マンネリ」への注意喚起で、過去の成功に安住して慢心するなとか、既成概念にとらわれて視野狭窄(きょうさく)に陥るなという警告です。そして常に未知の領域に、更に上の頂を目指して、振り出しのゼロからの気持ちで挑戦せよということです。
 そして「老後の初心」とは年齢やキャリアや名声を重ねたものへの警告です。それはこれまでの経験や成功は過去のものとして捨て去り、たった今、目の前にある課題に対して若者のように無心で挑戦することです。真剣に仕事や人生を極めようとすれば、いくつになっても新しい挑戦を続けなければならないと世阿弥は説きます。
 ひとりが初心を忘れると、過去の人の蓄積も、その人自身が足しあげた分もその先のひとには伝わりません。更に全員が初心を忘れるとその組織全体の進歩が止まってしまい、再生不能となります。だから一人ひとりが「三つの初心」を忘れてはならないのです。