大手エリートの屈辱

■「野宿大全」(村上宣寛著、三一書房、2007年)を読む。
 これは面白かったし、少し驚いた。何度も『そうだ!』と膝をたたいた。著者は地元の大学の先生である。ここに書いてあることは、近未来の自分の姿ではなかろうかと錯覚を覚えた。自分と似ているところが多かった。
『実は車がない。買う気もないし、免許も持っていない。』これには、脱帽であった。
『われわれは成金の時間貧乏人ではない。』お金もないのにアクセクアクセクとして、自分の出る時間が遅いことを運転手の生にして自己顕示欲を保っているヘドが出るような人の何と多いことか。
『ウォーキングを継続的に実践すると、心臓と肺、筋肉や関節、また、骨や内臓が強くなる。』一日に30分〜60分がいいようである。
『速歩のトレーニング効果は大きい。1〜2週間続けると脚、胸、腕が急に分厚くなる。』毎朝の通勤に速歩を取り入れようと思う。少し遠回りが必要なようだ。
『バックパッキングは、〜〜〜持ち運べる物には限りがある。生きていくのに何が必要かを真剣に考え、不要な物は捨てなければならない。〜〜〜ゆったりと流れる時間と心の豊かさがある。』これが難しいのである。
『私の場合、休息はしない。ノンストップのウォーキングが原則である。』
浄水器があると、濁った水や、水溜りの水でも、美味しい飲み水になる。』探すことにしたい。
『長い間、携帯電話には関心が無かった。公衆電話を使えばよい。』その通りである。公衆電話なら数百円で済むものを不要な機能ばかりに惑わされて10倍以上も使っている。
『野宿しまっくている野郎なんて料理などしない。』最後に、白馬岳〜日本海の縦走結果があったが、毎日同じメニューであった。インスタントラーメンが体に悪いことも分かった。

■大手エリートの屈辱・・・
 あるブログ(週刊誌の抜粋)からの引用である。
「ある大手メーカーのA氏は、営業畑の社員として30年近く勤務し、定年まで10年切った頃、リストラ攻撃が始まった。
その会社では、40〜50代になれば毎年数名ずつ退職へ追い込まれていた。
中には自殺する者もいたという。
 だが、A氏は「まさか自分はないだろう」と思っていたようだ。若い頃から成績がよく、同世代よりも早く管理職に就いているという自負があった。
そんな時、直属の上司の営業部長から呼び出しを受け、次のように言われた。
「籍は人事部になるが、仕事はない」
これは、"リストラルーム"行きを意味していた。
大きな会議室に人員整理の対象者10人前後が集められ、次のような指示を受ける。
「社内で受け入れてくれる事業部を探すか、社外で雇ってくれる会社を見つけること」
現在の部署で"戦力外"になった社員が人事部の監視のもと、まず社内で自分を受け入れてくれる他の事業部を探し、部の責任者と交渉をするが、ほとんどの場合、部は受け入れず、人事部も支援することはない。仕方なく、退職後に雇ってくれる会社を見つけるための"転職活動"することになる。
もちろん、中高年に達している彼らを受け入れる先はめったにない。そのうち、やる気をなくしたところで、人事部との話し合いが設けられる。
退職勧奨であるが、ここで断ると、次は閑職への異動をほのめかされるという。
その後、幾度となく人事部との面談をさせられ、「辞める」ようそそのかされる。
そして、一定の条件を飲ませ「辞表」を書かせるーー
これがリストラへ追い込む消耗戦手口であった。
A氏もまた10回ほど面談を受け、地方工場への異動を勧められたところで、
限界を感じたという。長年営業で貢献してきたつもりだったが、最後は工場行き・・・。
A氏は、営業を請け負う個人事業主として独立することを決心した。
かつて年俸1000万だった営業のエリートは、年収300万円以下にもなりうるいばらの道を選んだ。
「こういう条件で働くことができるか、本当に生きていくことができるか、それはわからない。しかしいまの私には、やるしかない」
恐慌の影は、大手エリートにも容赦なく、忍び寄っているのである・・・。」