解雇規制緩和

■「そして、人生はつづく」(川本三郎著、平凡社、2013年)を読む。
 映画のロケ地を散歩したり、鉄道で回ったりという内容が多かった。映画関係の仕事が中心なのだろうと思いながらであった。鉄道はいわゆる乗り鉄かと思っていたが、動く書斎という使い方もされており、好きなのだ。よく歩いておられる。この辺は見習わなければと思った。
『いま月命日ごとに亡妻の墓に行き、墓前で持参の弁当を食べている〜』
『鉄道の旅は、車中でゆっくり本が読めるのもいい。』
『そしてひたすら歩く。〜(中略)〜太陽の下、それまで知らなかった町を歩くことで何とか元気になった。』
『一人になってつくづく思うのは、自分の人生も限られていること。それまでに何が出来るのか。何をしたいのか。終わりを見据えて、逆算して生きてゆくことが大事になる。』
■解雇規制緩和
日経ビジネスからの抜粋である。
「きっかけは、政府の産業競争力会議の分科会で、「解雇が認められる場合の合理性を法律で明確にできないか。カネをきちんと払うことで解雇しやすくしてはどうか」といった意見が出されたこと。
「解雇をしやすくして、雇用の流動化を目指す。衰退する産業から、成長する産業に人材が移動すれば経済は活性化する。市場経済には公正競争のルールが不可欠」。これが推進派の主張だ。
だが、その裏には
・日本の正社員は恵まれすぎ
・一度雇用されれば、どんなにパフォーマンスが悪くとも一生安泰
と、ものすごく乱暴に言えば、「正社員よ、甘えるな!」といった、使えない中高年に対する怒りが見え隠れする。
だが、その裏には
・日本の正社員は恵まれすぎ
・一度雇用されれば、どんなにパフォーマンスが悪くとも一生安泰
と、ものすごく乱暴に言えば、「正社員よ、甘えるな!」といった、使えない中高年に対する怒りが見え隠れする。
「リストラの規模は、その時々で異なる。数人の時もあれば、大規模なこともある。大規模にやる時には早期退職を募りますが、小規模の時には閑職に追いやり、辞めるように仕向けます。最初はかなり抵抗がありました。でも、従業員数が多いので本人と面識のないケースの方が多いし、人事って会社の経営状態も分かるので、だんだんと抵抗感が薄れていきました」
 「でも、数年前に自分が以前いた部署の同僚を切ることになった。彼がターゲットになった時は、小規模なものだったので異動を通告しました。それはリストラ対象になったことを意味するものでした。でも、彼に限ったことではないのですが、異動になったからといって辞める人はいません。すると本人に、“辞めます”と言わせるように、ジワジワと追い込むんです」
「結局、彼は辞めました。罪悪感に苛まれました。切る側の人間の言うべきことではないと思うのですが、その時から、辞めるように精神的に追い込むくらいなら、いっそのこと『解雇です』とバッサリやった方がいいんじゃないかと思うようになったんです。それに実質的にはリストラでも、形式としては自己都合退職ですから失業保険は、3カ月以降からとなる。解雇ならすぐに受給できますからそっちの方がいいようにも思います」
そもそも現実にはリストラを行っているにもかかわらず、経営者たちが解雇規制の緩和を訴えるのは、なぜなんだ? リストラをする、そのプロセスを踏むことさえ面倒くさいとでも言うのだろうか?
調査の結果、数百年続く長寿の企業には次のような特徴があった。
(1)環境に敏感である
(2)強い結束力と独自性がある
(3)寛大である(権力の分散化)
(4)資金調達で保守的である
 さらに、これらを様々な角度から考察し、「利益追求のみに走ると、企業の寿命は短くなる」と結論づけた。
人と人との強い結束力、人と人との信頼関係。企業と従業員の結びつき、企業と従業員の信頼関係。これらに必要とされるのが、長期雇用。長期にわたる勤続が信頼を築き上げる。競争社会になれば、デキル社員ほど会社を捨てる。信頼を育む長期雇用を実現するには何をすればいいのか? それは、企業が存続していくうえで最大の課題とまで言われている。
人間というのは、相手との関係性の中で行動を決める厄介な動物だ。「自分を信頼してくれている」と感じる相手には信頼に値する行動を示そうとするし、「自分を大切にしてくれている」と感じる相手には精一杯の誠意を示そうとする。「自分を長く雇い続ける努力をしてくれる」会社には、長く雇われ続けるための努力をし、会社が存続するために誠意を示す。
人を使い捨てにしている企業に、どうやって責任感を持てというのか? 良質な人材はどこかに落ちているんじゃなくて、企業が良質な人材に育てるんじゃないのか?
 「雇ってみたけど、使いものにならないからいらない」と陰湿なリストラを横行させ、もっと簡単に解雇させろ! とする企業に、「信頼」は生まれない。
ひょっとするとどこの経営者も、企業を長生きさせようとは、はなから考えていないんじゃないかと思ったりもする。 」