JR北海道

■創作

 ◎冷たい雨に打たれて懐かしむ      禅智

 3月下旬というのに、日本上空の低気圧のため冷たい雨になっている。東北より北
の方は雪が降る予報が出ていた。
 今日は読み終えた本を図書館分室に返却するため、少し早めに家を出て遠回りして
の通勤である。途中、母校の小学校を通る。この間から工事が行われていたが、2階
建てに建て替えられたようだ。思えば、自分の年齢は3階建てに建て替えた時に6年
生であった。その時の感動が沸々とする。もう半世紀近く経ってしまった。
 子供の数が減っている。少子高齢化を体感した日であった。
帰宅時刻は、星空で冷える訳だと納得する。

JR北海道
日経ビジネスからの抜粋である。
 JR北海道で1996〜2003年に社長を務めた坂本眞一・前相談役の「お別れの会」が3月4日、札幌市内のホテルで営まれた。市内の自宅から北西約50kmの余市港で、遺体が浮かんでいるのが見つかったのは1月15日だ。遺書などは見つかっていないが、自殺と見られている。
 JR北海道の野島誠社長は、遺影を前に「安全な鉄道にする」と誓ったそうだ。だが、2年半前に自殺した中島尚俊社長(当時)のお別れの会でも、同じ誓いを立てたのではなかったか。
 中島氏は2011年5月に起きた石勝線脱線炎上事故の対応などに追われている最中、同年9月に自殺した。行方不明になってから石狩湾で遺体が発見されるまでの間に、会社は「安全風土を定着させる」などとする再発防止策を国土交通省に提出した。しかし、現場ではそれとは逆行する所業が横行していた。
 社長経験者2人の相次ぐ自殺に、JR北海道社内は激しく動揺している。
 2013年12月と2014年1月に、中島氏と坂本氏が死に場所に選んだ海岸を訪ねた。人生の最期を迎えるには、寂しすぎる場所だった。