牙抜いて

■牙抜いて
◎牙抜いてフヌケと戦う蟻一つ   禅智
 横断歩道の白線で滑る。このところ毎回だ。全信号無停止記録達成かと思ったが、旧国道の交差点で止まってしまった。顔を上げたが、山は見えない。
 もう40年近く働き詰めの人生であった。企業戦士という言葉が世の中を駆け抜けていった。停滞は退化などとあおられ、あくせく動き回っていたなあ。
 もう牙はいらない。これからは感性と知恵が必要になろう。それに磨きをかけていかなければならないと、またアクセク生きようとする癖が頭をもたげてくる。まったく困ったものだ。
 牙を抜いた動物は、1年ほどでフヌケになってしまうと何かで読んだ記憶がある。自分だけは例外だ、などとタカをくくるとそうなる。フヌケとの戦いが始まった。防止法は、熟慮断行ではないだろうか、いや違うだろう。結局は分からないのである。なにせ、この年齢になるのは初めてなのだから。
 帰宅後冷凍庫を開けると31アイスが入っている。1月31日に31%引きになるというので買ってきてあったのを思い出した。次は3月か。

■「60歳からのシンプル満足生活」(三津田富佐子著、三笠書房、2010年)を読む。
「もう年だから、年相応になどという言葉は使わぬほうがよい。〜若さを奪い取る“まじない”をかけているようなもの〜」
「とにかく外に出かける」
「新聞投稿は私の趣味である。」
「ストレスはやはり“病気の素”なのだ」
「暴飲暴食は慎むべき」
「歩くことから、いろんな可能性が生まれる」
「お洒落は、大げさに言えば、生きている証でもある。」
「お洒落は気合なのだ」
「ボーッとするのは、けっして無駄ではない。心の休養だと思う。」
「日帰りバス旅行」
七福神とは、恵比寿(えびす)、大黒天、布袋尊(ほてい)、福禄寿(ふくろくじゅ)、毘沙門天(びしゃもんてん)、寿老人の七人の神様である。」