秋分の日

秋分の日
◎人生の天下分け目の我が秋分  禅智
 知っていそうで、知らない、あるいは間違って覚えているのはしょっちゅうある。
少しでも疑いがあったら調べることにしている。こういう時にネットを使うべきであろうと思う。
 秋分の日とは、夜と昼の時間が一緒になる日と思っていたが、「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」と書いてあった。
 今日も秋晴れであった。鳥も元気であった。ハクセキレイが至る所で飛んでいる。
「ツ・ピ〜、ツ・ピ〜」とさえずるのですぐに分かる。電線に留まっているのを太陽光を意識して撮る。

 珍しく木のてっぺんに鳥がいそうだ。じっと見つめる。違うかな? 見つめ続けると動いた! 鳥である。遠いがなんとか。モズではなかろうか。通勤に一眼レフを持って行くわけにも行かず、コンデジなので写りが悪い。モズは、どこにいるかは分かっているので休日ごとにカメラを持って出かけているのだが、そういう時に限って出会わない。

 ドバトも元気である。ビルの上で群れている。

 ハクセキレイがまた留まった。後ろの羽から撮りたかったが、カメラを向けると前を向いてしまう。そこで反対に行くとまた、顔を向けてしまう。
 しかたがないので、前を撮った。自己主張が強いのではないだろうか。

 ムクドリだけは見ることができなかった。稲刈りの田んぼも見たがいない。
 人生の至る所に分岐点はある。その時にどちらを選ぶかで人生が決まると思う。大切なのは分岐点でどちらへ行けばいいかという時に、正しい方向を選べるだけの感性を身に着けることではないだろうか。こういう世界は理屈ではないような気がする。
 今年は、分かれ目であり、方向は決めたが、正しいかどうかはしばらくたってから判明する(はずだ)。正しくない場合は、1年以内に判明する。