立春

立春
 毎年、この時期になると山仲間の中では、マンサクを誰が最初に情報を入れるかの競争めいたものがある。もちろん、各自そう意識していないだろうが、自分で勝手に思っている。
 しかし、今朝の北日本新聞に出し抜かれた。山の中のマンサクの花は咲き始めが好きである。
 今日は、マンサクを求め吉峰山に登った。なんと、カケスやマヒワにも出会い、ラッキーであった。

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■「腹を抱る」(丸谷才一著、文春文庫、2015年)を読む。
藤原定家〜二人は熱烈な恋愛をしていたが、式子(しょくし)内親王は病気で死んでしまう。定家は恋人のことが忘れなれない。〜それが植物のツタになって、式子内親王の墓にからみつき、どうしても離れない。〜“定家かずら”と呼んだ。」
「〜議論において重要なのは思想傾向ではない。事実と論理性とである。」
「スコッチ・テープ〜この言い回しのことを英語学ではゼノフォービアという〜」
「〜商人というのは大体あくどいことをして金を儲けるものである。会社とは何のためにあるか。〜つまり良心をマヒさせるために存在する、〜」
「“孫の手”というのは宛字で、正しくは“麻姑の手”、麻姑という仙女の爪が長かったことに基づく〜」
「本を読むのが好きだなんて人間は、まったく例外的な存在で〜」
「元和元年(1615年)〜徳川家康は〜その天ぷらはカヤの油であげて〜」
「カレー・ライスというのは汁かけ御飯なのである〜」
「一般に小説は人間の研究なのである〜」
「成功した文章とは、退屈な言葉ではなく、興味を引く言葉を綴ることから成り立っているものだ。」
「後悔あとに立つ」
「人間は誰でも死ぬ。」
「哲人の心中にあるものは、ただ、無である。」