農薬の授業

■農薬の授業
 今週は、実習が多かったからなのか、毎日8km徒歩通学しているからか、赤岳登山の影響なのか分からないが、すごく疲れている。
 昨日も図書館まではバスで往復した。
 今日は農薬の話であった。最初のイントロである。ビデオも見た。
 農薬は害虫により使う種類が異なり、また雑草により適用する薬が違うという。ということは、どんな昆虫なのか、どんな草なのかが分からなければ農薬は扱えないという。樹木でオーバーフローしているのに次は昆虫と草か!
 また、ゲンジボタルが減っている理由は農薬が原因ではない、野鳥にも影響がなく、残留農薬も問題ないという風にまとめていた。農薬は安全であるという。
 しかし、人が死ぬ場合もある、要するに管理の問題である。塩も150g食べれば人は死ぬ。
 それに伴って、動力噴霧器の取り扱い方と噴霧実技があった。どうも機械系は苦手であるが、そんなことは言っておられない。今日は練習なので中身は水であったが、合羽を着なければならない。これは農薬だったら完全武装で作業をしなければならない。大いにトーンダウンする。
 明日予定されていた、立山縦走も雨で中止になったので、草むしりでもしようかと考えているが、疲れがひどく寝ているだけになる可能性が高い。
 疲れと同時に腹が空く。帰りに丸亀製麺に入る。かき揚げうどんを食べるつもりであったが、トレイに乗っていない。コスパがいいのはこれだけである。念のために聞いたらあるというではないか。椅子に座ってうどんを一筋食べる頃に、揚げたてを持って来た。なるほど、こいつはいい!

■「エゴの力」(石原慎太郎著、幻冬舎新書、2014年)を読む。
「すなわちエゴとは人生を左右する力、人間の個性、個性とはその人間の感性の発露以外の何ものでもない。」
「〜素人だろうと玄人だろうと、新しい思いつきが報いられる組織なり社会なりは必ず栄えます。」
「人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり」(幸若舞 敦盛)
「経営には勘が必要だが、勘だけではだめだ。またデータ、コンピュータだけではだめだ。資料をいくら重ね、データをいくら分析しても限界がある。経営に成功するための原則がある。その原則のなかで絶対必要条件ともいえるのは経営の哲学、経営理念や志だ」(松下幸之助
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残りを いかにとやせん」(浅野内匠頭
「江戸時代の慣習としても人に物を教わった時にそれ相応の礼をするのが当然のことだった〜」
「〜エゴの象徴である人間の感性をいかに研ぎ澄ますか、いかに強く育てるか。そのためには自分の好きなことに耽溺(たんでき)する以外ない。」
「何にしても精神の全盛期を過ぎた時に、それに気づいて物事に関して心が守りに傾いたならば、それによってさらに間違いなく老いの衰弱がのしかかってくるものです。」
「人間にとって老いるということは決して恥ではないんだ。」
「死は人間にとって最後の未来である。」
「人間は誰しも、人間は必ず死ぬということを知ってはいるが、自分が死ぬと信じている人間は滅多にいない」
「色即是空空即是色(しきぞくぜくうくうぞくぜしき)」「全ての物事は変化するのだ。それこそが人間にとっての絶対真実なのだ」
「〜成熟した老年というものがあるわけない〜」
「あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮き世の月に かかる雲なし」(大石内蔵助
「出でまして かへります日の なしときく けふの御幸に 逢うぞ悲しき」(乃木静子)
「自分の感性の希求に素直に応じて自分自身としてあること」