消化不良

■消化不良
 そろそろ、自主退学かなという予感がしている。
 今日から剪定理論が始まった。
 それに先立って、灌水(かんすい)の講義があった。灌水とは水遣りの意味から単に無差別に水を撒く散水とは異なり、苔が生えている場所なんかみると灌水技術の欠如といえる。
 灌水頻度=(土壌の有効数量×根の深さ)÷1日の蒸発散量
 樹を剪定するためには、木のことを詳しく知らなければならず、まず樹木のライフスタイルの話があり、芽の種類と見分け方では内芽と外芽を見極め内芽を切らなければならないこと。切らなければならない枝の種類などであった。専門用語が飛び交いなかなか高度な内容である。もうほとんど忘れている。
 経験者もおり、話を聞いてから、いままで全く違ったことをしていたとショックを受けていた。この科目だけで数日かけるようで、シルバー人材センターが行うのとは質が違うと思う。松の木の選定が楽しみである。
 午後からは刈り払い機の授業であった。自分は森林ボランティアの森づくり塾で講習を受け修了書をもらっていたが、ここでは徹底的に体で覚えさせられた。
 歯の交換も、分解→組み立てと各自順番に3種類(チップーソー、ナイロン1、ナイロン2)と半日かけて行い。いくらなんでももう忘れないレベルまで来たようだ。
 構造や理屈から説明があるので、良くわかる。燃料の作りからも学んだ。参加者の半分ほどは自分で持っている方であったが、それでも苦戦していた。自己流で操作だけできるのと、メンテナンスも含めて使いこなすこととは全く違う。
 大事故の代名詞であるキックバックの実演は学校ならでわであった。

■「乞食路通」(正津 勉著、作品社、2016年)を読む。
「僧侶は、出家した身なれば、自らの手で食物を作るのも、田畑を耕作することも禁じられた。法は仏に乞い、食は人に乞う。つまり、乞食修行(頭陀行)に励むことが、ひいては一般の人に布施という善根をつませる尊い行為であり、むしろ衆生救済の法とされた。」
「ぽっちゃりと腹の出た人に腹の黒い者はあまりない。」
芭蕉にとって、乞食は、世間でいう敗者などではなく、虚飾と堕落の濁世を見限った、見上げるべき人士でこそあった。」