コシアカツバメ

■コシアカツバメ
 昨日の夜はダヤイ、ダヤイと思いながらなかなか寝付けなかったが、いつの間にか寝入ってしまったようだ。今朝は、まぶしい朝の光に突然目が覚めた。まず、最初に思ったことは、”生きている”ということであった。しかし、朝日に感謝しようなどという気はさらさらない。続いて頭によぎったのはカフカの変身である。自分はこれを原書で読んだことがある。(途中までだけど)人間の四肢を確認した。
 最後に、疲労の具合はどうかと確認している自分がいる。昨日よりは少し、いや、すこ〜〜〜〜し回復しているようだが、ダヤイ範疇に入る状態である。
 バードウォッチング行けるかなと一応カメラを積んで家人を職場に送り届ける。少し動くと少し楽になり、鳥の先生に紹介を受けていた場所に向かう。
 狙いはコシアカツバメであったが、さてどこにいるんだろうと探し回る。キセキレイや普通のツバメは分かった。少しあたりを歩いていると、今まで見たのとは違うツバメが数羽飛んでいることが分かった。そっちへ向かう。ツバメの撮影には高度な技術を要する。飛んでいる速さがすごい。その速さにカメラを合わせてピントが合ったらシャッターを切るのである。
 何十枚撮ったか知れない。巣から飛び出してきた瞬間である。(図鑑登録)

 飛んでいるところを撮るとこうなる。これで普通のツバメとの区別が付くだろうか。

 やはり、体調が万全ではなく辛くなってきたので、引き上げることにした。
 帰り際、止まっているのを撮ったが、逆光で不採用にした。

 普通のツバメもいっしょに飛んでいた。比較のために撮る。

 昼前に昼寝をする。昼後も昼寝である。まるで、寝ることが仕事のようになっている。明日も少し回復していることを期待しよう。

■「大岩壁」(笹本崚平著、文藝春秋、2016年)を読む。
「先鋭的なクライミングの世界で、死は決して特別な出来事ではない。」
「いま思えばその判断がまさしく驕りだった。」
「登山という行為に特別過剰な思い入れはしていない。崇高な使命感や哲学的な動機があるわけでもない。」
「〜人間、一度は死ぬことに決まっている以上、死に様を選べることはむしろ幸福だーー。」
「喜びもなく、悲しみもなく、ただこのままここに横たわり、〜」
「装備の軽量化による短期速攻がアルパインスタイルの神髄で〜」
「登山というのはある意味で判断ミスの連続だ。」
「裏方の人生も悪くはないと思っていても、やはりなんだか口惜しくてね。」
「山は復讐の対象じゃないからね」
「〜おれも実力以上のルートに挑んでパーティーの足を引っ張ったことはいくらでもある。」
「登山というのは山との闘いじゃない。」
「極限状態で、人としての正しい意志を貫くことができるかどうか〜」
「合理主義なんて、けっきょく損得勘定の言い換えじゃないですか。」
「約束したとしても空念仏でしかない。」
「人間が登ろうと登るまいと、山はただ厳然としてそこに存在するだけなんだよーーー」
「だからこそ山は奥深い。それは神の意志に身を委ねるということとよく似ている。人間の我欲などしょせんそれだけのものなのだ。」
アルパインスタイルは、野放図なチェレンジ精神とは対極のものだ〜」
「〜山に対してフェアではない〜」
「山屋である限り、死は受け入れるしかない対価の一つなんだよ。」
「〜年齢相応の山を自分のペースで登るーーー。」
「平地で暮らしているとき、だれも呼吸のことなど意識しない。」
「頭痛と吐き気は一般に高所障害の初期症状とみなされる。」
「人が生きる理由は損得ずくの合理性だけを尺度には決められない。」
「〜なにかの拍子でパーティに負担をかけていたかもしれない。それを足手まといだと思うような人間に山に登る資格はない。」
「命のリスクとの等価交換の自由こそ、おそらくソロの神髄なのだ。」
「登攀中は頭痛が絶え間なく、ときおり吐き気にも襲われて、視野狭窄もしばしば起きた〜」