平塚にて

■平塚にて
 若い頃、関東の方へ行くとなると、能登という夜行列車の普通席で一晩かけて行ったものだ。それに比べれば、今は隔世の感がある。9時30分発車で途中15分の休息を3回取りちょうど16時に池袋にとうちゃこした。
 池袋から平塚までは山手線や東海道線を乗り継がなければと思っていると、新宿湘南ラインが出来ている。そして、ちょうど快速の平塚行きが15分後であった。
 台風5号の影響が出ている路線もあったようだが、今回は濡れることなく子供のマンションにとうちゃこである。
 さしずめ、今日、明日と何がどこにあるのかなどの調査である。雨が降らなければいいが、明日がもっともひどいらしい。

■「ひとり居の記」(川本三郎著、平凡社、2015年)を読む。
「悲しみのみが悲しみを慰めてくれる、淋しさんのみが淋しさを癒してくれる」(柳宗悦
「デザイン力とは、整理整頓する能力〜」
海ゆかばには不覚にも涙がでた。」
「〜旅先でタクシーに乗るのは楽をしているようで好きではない。」
「一人暮らしになってから、暮れと正月は毎年、どこかに出かけていた〜」
「死を前にして人は厳粛になる。」
二葉亭四迷は死んだとき、負債もなかったが、一銭の貯蓄もなかった。樋口一葉が若くして死んだのも貧しさゆえ。」
「〜不覚にも熟睡してしまい、〜目が覚めない。」
「一般に新幹線が開通すると、在来線の沿線がすたれてゆく。」
永井荷風〜メモ帳に覚え書きをし、次にノートに万年筆で下書きをし、最後に、和紙に筆で清書する。」
「〜朝から開いている居酒屋〜」
東海道五十三次を歩く、あるいは、芭蕉のあとをたどって東北を歩く^」
「年齢を取ると寺や神社が身近なものに思えてくる。」
「ひとり居も馴るればたのしかぶら汁」(永井荷風
「子を持たぬ身のつれづれや松の内」(永井荷風
「古いものは美しい」
「植物にとってスキマはむしろ天国なのだという。水と光があり、何よりもそこにはライバルがいないから。」
「丹念に歩けば、身近なところに忘れられた懐かしい風景や、見たこともない不思議な異空間が残っている。」
「人には恥じらいが大事だ。人を押しのけてまでというのはいけない」
「花の散るが如く、葉の落るが如く、わたくしには親しかった彼の人々は一人一人相ついで逝ってしまった。わたくしもまた彼の人々と同じように、その後を追うべき時の既に甚しくおそくない事を知っている。」(永井荷風