呉羽丘陵観光ガイド研修

呉羽丘陵観光ガイド研修
 今日もいい天気であった。あれほど積み上がっていた雪も低くなった。太陽の力はすごいものだ。統計上積雪量は30年前から半分に減ってしまっており、気象予報の平年並みは30年間を平均するので、今年のような雪は大雪になってしまうが、30年前とでは平年並みになるようだ。また、大雪と騒いでいても根雪になって残ることが少なく、ドカ雪が降ってもすぐに溶ける。これは低気圧がやってきて冬型を崩してしまうことが原因であるということを日鳥連の講演で学んだ。まさに、その通りになっている。
 今日は朝から忙しい。一番目と家人を送った後、帰宅し三番目を高速バス停まで送り、呉羽山観光ガイド研修に参加した。
 あらかじめ送られていた予定表では呉羽山を散策してから講演ということであったが、この積雪では無理で数日前に撮影されたビデオでの室内解説に変更された。
 講演は資料やテキストが配布され、細かい内容であった。

 参加者は50名弱で、26会は自分を含めて3名の参加であった。全体的に年齢層が高いと感じた。
 講演はテキストと絵図や古文書によって行われた。
・江戸時代、呉羽山丘陵の中のひとつの山、明神山に富山藩と関わる七面宮、寺院、妙見堂、三重塔の建物群があった。
呉羽山仏教文化の中心として、人々の心の拠りどころになっていた。
・七面造・・・入母屋造の拝殿の屋根の上に、七面大明神をたてまつる本殿を乗せた形の建物。日本で残っている建物は実在しない。
・江戸時代には突き当りの山上に常夜燈が置かれていた。
・昭和50年に明神山西側斜面に並んでいた石造物を、富山観光ホテル前へ移設した。
 参加は無料であったが、昼食が出るという。そんな虫のいい話があっていいのだろうか、と見ず知らずの方と話しながら長い廊下を渡って食堂へ行くと、準備されてあった。

 まあ、良識的に考えると、食事をしながら歓談して親交を深めようという主旨ということだろう。
 終了後、三番目の用事に振り回される。メールで17まで振り込みとなっていたので、17時までと思い大急ぎで銀行を回ったが、17日までということであった。
 そして、家人を迎えに行く前にコーヒーショップに向かう。メールで季節限定品があるということなので、少し高かったが注文した。
 商品名が長い、サクラストロベリーピンクミルクラテ、という。こんなものはもちろん初体験である。しかし、天気も春めいており楽しい気分になって来たね。平日なのに混んでいた。9割以上が若い女性たちであった。だいぶ浮いていたようだ。

■「花物語」(牧野富太郎著、ちくま学芸文庫、2010年)を読む。(その2)
「希望のない人間は動いていても死んでいらア。」
「〜来る年も来る年も左の手では貧乏と戦い右の手では学問と戦いました。」
「八ツ手の広い大きい葉は葉脈にそって上から下へと順々に、なるべく根の方に雨水を流していきます。」
「〜新たに設けんとする花ショウブ園は世界的の資格を備えたものとして少なくとも一里四方くらいのものにせねば意義がない。」
「〜いかにもその辺が能(よ)く〜」
「〜このアジサイを紫陽花と書くほど馬鹿気た名はない。」
「大抵の書物には〜ハマナスという〜がしかしこれはハマナシが本当で〜」
「朝夕に草木を吾の友とせばこころ淋しさ折節もなし」
「花を見る時の注意・・・①花の着くところ。②花に接した葉や茎の状態。③花の着き方と開き方。④花の部分的組み立てとその形状。⑤各部分の数と大きさと色と匂い。」
「近来、文壇に名を挙げる文豪や、思想の善導を叫ぶ聖賢といわるる人は、自然界の一事物、植物についてすら正確な理解を有していない。まことに気の毒なことである。」
「草木の名を正確に知るにはぜひとも科学的知識がなければ不可能である。」
「芸が身を助けるほどの不仕合せ」