尖山

■尖山

 冬山登山である。現在病気療養中であり、自分の病には寒さが悪いことが分かっていた。しかし、天気予報を見ていると今日だけ雨は降らないことがでており、これにより山を歩きたいという内から湧き上がる衝動を抑えることが出来ず、くさのさんに連絡した。

 この時期の尖山登山は何回も実施すみであり、過去には登頂できなかったこともあった。今年の積雪は少なく駐車場に積雪はない。ほぼ満車状態であった。かろうじて一台分空いていた。

 問題は上の状態である。まあ、だいたいの予測は出来ていた。

 雪道に到着した。多くの人に踏み固められたため、歩くところはほとんど圧雪状態であった。

 この状態で頂上まで続いていた。

 上の登山口に到着した。看板の上に出ている足の長さで雪の深さが分かる。

 いつものこの時期の山に比べれば、比較的歩きやすいものの、雪が押し固められておりちょっとした傾斜で滑る。自分たちは長靴登山である。正しい装備は、登山靴にスパッツである。おおくの方が軽アイゼンやチェーンアイゼンを装着されていた。

 やはり元気いっぱいに登ってますとはいかない。ちょっと歩いては休みを繰り返す。

10人ほどにも抜かれたと思う。この時期、汗が冷えて低体温症になることを避けなければならない。無理はせずマイペースで歩く。なんと、くさのさんは手袋なしで袖を捲り上げているではないか。

 ふくらはぎが張ってきて、足も吊りそうになる。

 なんとか登頂である。

 頂上は、夏山より混んでいる。雪だるまが作られていたので撮る。

 下山はなお大変であった。とにかく滑る。

 途中、トナさんに会った。が、誰でしたかとのことで、私のことは忘却の彼方であった。まあ、そういうもんだろう。

 山に入っては山の水を飲むべし、という先人の言葉を守るため、水場で水を飲む。

 下山した。

 駐車場では、空き待ちの方がおられ、自分たちが出たらその後に入った。それにしても人気だね。

 時刻は昼時である。いつもの高級中華レストランでランチである。

 ランチ後は、コーヒーショップでゆっくり歓談する。

 日頃、人と話すことがない生活なので、こういう時間は貴重である。

 干支登山については、打ち合わせを終えた。

 家の近くまで送っていただいた。

 まあ、百点ではなかったが、おもしろい雪山登山であった。

■「ヒトの原点を考える」(長谷川眞理子著、東京大学出版会、2023年)を読む。(その2)

「大多数の“みんな”が安泰に暮らせるのであれば、少数の人々が困っていても構わない~」

「~自らに都合のよいようにしか考えない思考のバイアス、異論や批判の排除、過度のナショナリズム、敵の過小評価、文化的。人種的偏見だとし、これを戦争の文化と名づけた。」

「経済がどんどん右肩上がりの時代は終わった。」

「動物であるヒトが、植物に勝つことは不可能なのだ。」

「私たちの暮らしは、この大きさの生物として分不相応である。」

「干支は古代の中国が起源だ。」

「生物のさまざまな種が、かつてないスピードで絶滅している。」

「ここ100年ほどで発達した都市型産業の文明生活は、少しも持続可能ではなく、心地よくもない、奇妙な生活なのだ。」

「ヒトはかなりの部分を直感に基づいて行動している。」

「狩猟採集社会は“遅れた”社会で、未だにそんな生活をしている人たちは“遅れた”人たちなのか。冗談じゃない。」

「新型コロナの感染がおさまっても、また新たなウイルスは出現してくる。」

「~人類がウイルスに勝つことはありえない。」

「広告宣伝に踊らされていたのだ。」

「~日本には“個人”がないので、これにどう対処するかは、同調圧力に頼ることになる。」

「データをそのまま鵜呑みにしてはいけない。」