選挙

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■選挙
 まったく唐突であるが、自分の投票行動を整理してみる。
 まず、基本的に■■には期待していない。従って、マニュフェストやらは見たことがない。この国が動かしているのは、■■■というより■■ではないかと考えているからである。しかし、投票はする(ようになった)。
 どこかで書いたが、やたらに外国語を乱用する候補者には、投票しない。
 人に伝わらない言葉を張り上げても不快な感情しか残らない。
 次に、広報車での名前の連呼である。モノには、節度があると考えている。思考が中断される。もっとも、中には控え目な連呼もあり、こういう常識のある方には、投票したいと思う。
 いつだったか思い出せないが、投票する人がいない時があった。
 苦渋の決断であったが、■■■■■したためて来た。

■「神無島のウラ」(あさのあつこ著、小学館、2023年)を読む。

「自分の利益だけに固執して他人を顧みない者は、ここでは生きられない。」

「嘘や誤魔化しを口にしていると、どこかで辻褄が合わなくなる気がする。」

「人は生きている。生きて変化している。」

「住人を失った家は荒れる。衰える。崩れる。」

「他人の誤解をありがたいと感じた。」

「・・・・やはり、少しふらつきます。」

「ガジュマルには神が宿る。」

「生育環境が人間の心身の発育に大きく影響する。」

「自分の衰えを目の前に突き付けられた。」

「自分が絶対的な支配者である快感。」

「子どもからの感謝を想定しての役目など、あるはずがない。」

「弱さは罪だと~そして、自分自身も誰かを守れるほど強くはない。」

「叫んでいた男性教師は心身を病んで、休職した。」

「殴る蹴るって暴力を“躾”だと言い張る大人は・・・・たくさん、いる。」

「明日に恐怖や残酷や苦痛が潜んでいるとは、夢にも思わない。無条件に明日を信じている。」

「酸素の足りない金魚のように、ぱくぱくと動かす。」

 

 

アタッシュケース

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アタッシュケース
 先日、コーヒーショップで本を読んでいると、隣の席に若い男性が座った。
 気になったのは、アタッシュケースを持っていたからである。
 アタッシュケースは、自分の■■時代の時代の必需品であったことをフツフツと思い出していた。
 隣の彼は、アタッシュケースをテーブルに上に置いて蓋を開ける。そこには、ピッタリと収まったノートパソコンが入っており。アタッシュケースに入れたまま、作業をしだした。
 今は、こういう使い方をするのかと、感動した。
 思い付くままであるが、自分はアタッシュケースを4回ほど交換している。駅のホームの椅子に座り机代わりにして仕事をしていた黒い過去も思い出してしまった。
 社員を売り上げや利益獲得の使用人としか考えず、毎年何十人も退職していた。使い捨て。正に社会悪ともいうべきで、存在価値はないだろう。
 この会社の支店の前を、頻繁に通る。何か引っ越しのような作業をしていたかと思っていたら、別の会社の看板に変わった。  
 このような会社は消滅すればいいと考えている人間は、おびただしい数に上るだろう。
 さて、アタッシュケースである。
 いろんな店で購入したが、覚えているのは、新橋駅線路下の店である。安かった。そして、今は道具入れとして役立っている。結構丈夫で助かっている。

■「単純な生活」(阿部 昭著、小学館、2018年)を読む。(その2)

「~命よりも検査料が惜しいとばかり~」

「健康をないがしろにして、なにが単純な生活ぞや~」

「病気のベテランは同時に生活の、人生の達人でもある~」

「老い先が短くなると気も短くなる」

「―――病気をしてからというもの、私は以前にもまして散歩を励行するようになった。」

「それにしても、五月ごろの朝の散歩の気持ちがよかったこと!」

「外へ出ると、なんだかしょっちゅう坐る場所を探していたみたいだ。」

「~肺炎を併発して息を引き取った。」

「~たえず何者かに追い立てられ、雑事に心身を消耗させられて、不快な疲労感と侘しい徒労感だけが、澱のように溜まって行くらしい。」

「きょうも一日、誰も私に話しかけてくれなかった。」

「終末的なことを口走り、滑稽にも早ばやと死ぬ準備にとりかかったりする。」

「~大分前から、私はもう未知の新刊書をあさる意欲はなくしている。」

「人の一生が終わった時、その永い思い出の他にどんな飾りが必要だろう。」

「年が改まったとて、人間が一夜に変わるものではない。」

「笑うことを知っている人間が、本当に悲しむことも知っているのである。」

「何ごとも自然を手本として学ばねばならない。」

 

外国語

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■外国語
 これは、今更始まったことではないけれども、歳を重ねるに従って気になって来た。というか、耳障りである。
 多分、発信している人達は、普通のこととして意識をしてないと思われる。外国語での発信である。
 現役のころは、自分も無意識に発信していたと思われるので、反省を込めて記す。
 さっと思い出すと、ウェルビーイングとかエビデンスとかが浮かぶ。
 この内、エビデンスは、職場で国際認証のISOの責任者だったこともあり、馴染みは深いものの、一般的には、ナンジャそりゃーになるのではないだろうか。
 昔からこの国には、外国語が侵食している。
 そして、自分に分からない外国語の場合は、イライラする。勝手なもので、分かる外国語の場合は、普通のこととして、聞き流してしまう。
 特に、政治や行政に携わる人が、分からない外国語で発信すると、自分の脳は拒否反応を起こすようだ。  
 そうして、発信者のことを想像してしまう。
 どうだい、私は、こんな言葉を知っているんだぞ。それも、外国語で。
すごいだろう。だから、下々の者たちは、私を敬わなければならない。尊敬して、従がわなければならない、と。
 伝わらない言葉を連呼して何の意味があるのか。
 選挙では、こういう輩には、投票しない。自分の無知が笑われているのが悔しいからではなく、母語で伝えられないほど貧弱な国語力の輩には、任せられないと考えるからである。

■「単純な生活」(阿部 昭著、小学館、2018年)を読む。(その1)

「物事はやはり単純でなくてはならんのだ。複雑なものはうさんくさいのだ。」

「~どうせなら一つうんと変わった病名を言ってもらいたいという~」

「私の心臓には薬なんか必要じゃないのだろう。」

「人は知らず、私の夢は十中八九は色がついている。」

「私は日頃から私立学校が親の弱みにつけ込んで、入学金その他を多額に只取りする商法を快く思っていない。」

「見て飽きないのは、やっぱり人間の生活、それもつましい庶民の暮らしである。」

「冷房で無理やり汗を引っ込ませているうちに、筋肉という筋肉が、いわば冷凍肉か乾燥肉みたいに硬ばってしまったものと見える。」

「物事はなるようにしかならない」

「家庭菜園~貴重なガソリンをふりまいて馬鹿なドライブなんかするよりは、よほど利口なレジャーかもしれなかった。」

「平和な世の中でも人間はいくらでもひどいことをするのである。」

室戸台風~風速六十メートルで~」

「~あけましておめでとうございます。ことしもお元気で、そして来世は天国へ行らっしゃるように・・・・」

「どうやらわれわれは沢山のものを手に入れた代わりに、同じくらいに多くのものを失ってしまったらしい~」


 

ポイント

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■ポイント
 自分たちが若いころには、ポイントというシステムはなかった。近いモノでブルーチップとか、スタンプカードはあった。
 このシステムの腹立たしいのは、ポイントカードを持って無いと加算されない点にある。その結果どうなったかというと、いくつものポイントカードやらスタンプカードが財布の中であふれかえることになった。
 目的のカードを探すために、トランプの如く一枚一枚繰りながら探す。当然時間が掛かる。
 しばらくして、スマホにカード情報が入るようになった。スマホという電子機器は、必ず壊れるということに、鷹揚な人はこぞって入れている。
 自分は、絶対にやらない。
 そうこうしているうちに、あちこちでポイント付与廃止になる。
 ポイントが付くことで、顧客の囲い込みを宣伝していた口で、廃止すると流れる。
 ポイントは、最初は少額でも安くなるのでお得感があった。しかし、直ぐに疑問を持った。
 商品の価格の決め方には、いくつかあるが、最も一般的なのは、コストプラス法であろう。コスト(原価)に利益を加えて売価を求めるのである。
 最初は、ポイント分は、この利益から払われると思っていたが、しばらくして、あらかじめ■■■■■■■■■■■■のではと思い始めた。
 そうなると、ポイントを付与しても適正利益は守られるし、自分のようにカードを無くしたり、持参しなければポイント分が■■■■■■■■■■■■ができるということではないかと疑い始めた。
 もう一つの弊害を思い出した。財布の中にカード類がたくさん入れていたので、銀行のキャッシュカードのICチップの金色の部分が擦れて再発行をしなければならなかった。そのため、現在は、一枚一枚カード入れに入れている。
 煩わしい世の中になったもんだなあ。

■「生きるよドンどん」(畑 正憲著、毎日新聞出版、2023年)を読む。

「体のことなど考えない。どうなってもいい。」

「~メモは要らないのである。」

「要するに、ボケ、ているのである。」

「一つの言語を習得するのがいかに大変か~」

「私の先生は、音読百ぺん、意自ずから通ずると言い、訳しては下さらなかった。」

「ブラジルの木は、ヨーロッパへ輸出された。~それが、いつしか国名になってしまったのである。」

「この世に、ネズミを常食にしている人びとがいるのである。」

「~たいていの魚は、大きい方がうまいよ。」

「がんは、人に命について考える機会を与える。」

「~使わないと、筋肉は三日間の内に退化を始め~」


 

最適解

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■最適解
 この頃、数学が脚光を浴びているような気がしている。NHKの笑わない数学は、毎回欠かさず見ているし、先頃読んだ本も数学の話があった。
 考えて見ると、毎日の自分の生活も数学でいう、連立方程式を解いているようなものだと気が付いた。
 まあ、誰でも自然に行なっている行動であろう。
 予定は、前日の午後に決める。
 明日、何しようか?
 天気予報は、雨である。
 車は使える。
 間食が少ない。
 食材が不足している。
 という、連立方程式を立て、その最適解が、明日の行動になる。
 動線を吟味して、動きやすい行動を組み立てる。
 しかし、その通りにならない場合もある。例えば、食事が準備されているような場合は、そちらが優先になる。
 まあ、お遊びなのである。

■「人類三千年の幸福論」(ヤマザキマリ著、集英社、2023年)を読む。(その2)

「過去に人類がどのような試行錯誤をくり返してきたかは、冷静に振り返ればすべて過去に書いてある。」

「私たちはだいたい地球上の生物における成功例でもなければ、自分たちが思っているほど高尚な生き物でもなんでもない。」

「ユーモアとは、進化した人間だけが生み出せる知性の証であるといっていいと思う。」

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」

「~今の世の中は感覚や価値観の共感の押しつけが横行していて、それが息を詰まらせる要因となってえいる。」

「人間というのは、実はそれほど子孫の存続に執着していない生き物なんじゃないかと~」

「彼らは、家族や家こそが人生最大の幸せだという自分たちの価値観が正しいと信じ切っている。」

「作品というのは一度手放した後は、受け取った側のものになる。」

「~人生先が見えないとぼやいているなら、下手な希望的観測など立てずに、なるようにしかならんと腹をきめて~」

「~運動をしない人間がモヤシのように脆弱になると同じく、精神と知性を鍛えられていない人間は脆弱だ。」

「人間は卓越しなければならない。卓越するには、日々真理を求めて勤勉でなければいけない。」

「~せめてあのカラスのように地球の法則に抗わない生き方をして人生を全うしたいと思っている。」

「~大きな事故に遭って、人生とは限りある時間でしかないことを思い知りました。」

「これから私たちがどう生きるかを知るには、環境問題であれ、政治問題であれ、過去から学ぶ必要があります。」

徒歩競争

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■徒歩競争
 前に、自分より高齢の男性が歩いている。かがとを上げ気味にして、規則的に歩幅を刻んでいる。
 しかし、歩幅が短いので速度は遅く、自分も遅いのだけれども、自分との距離がだんだんと縮まってくる。
 そして、とうとう並んだ。そのまま抜き去る予定であったが、なんと老人は、速度を上げるではないか。
 1メートル、2メートルと、離されてしまった。
 自分は、別に徒歩競争をしているつもりはない。自然に抜き去ることで考えていた。
 10メートル以上離れてしまい、自分の中では追いつくことは終わっていた。
 こっちは、考えてごとをしながら普通に歩いていたが、視界にあの老人の足元が入って来た。もう、3メートルの距離である。今度は、少し横に離れてから抜き去ろうとした。
 そして、並んだ。今度は、大丈夫かと思ったと同時に、老人は速度を上げた。そして、こっちをチラ見した。
 その顔からは、お前なんかに抜かれてたまるか!という意思が読み取れた。
 こんなんに構っておれないと感じ、次の交差点で信号を渡り反対側を歩いた。

■「人類三千年の幸福論」(ヤマザキマリ著、集英社、2023年)を読む。(その1)

「それでせっかく生き残ったんだから、あとの人生は自分の好きなことだけやろうと決めたんです。」

「芸術を動かす力というのは本当に綺麗事ではないんですよ。」

「~孤独というものは何かを生み出す人の必須条件だと思いますね。」

「ユーモアは自分にはゆとりがある、という顕示にもなりますからね。」

「~健全に過ごすためにはよほどタフでなければならない。」

「人が生きていくのに必要なものには換金性のないものだってあるはずです。」

「テレビもマスコミも信じない~」

「苦しさは乗り越えさえすればメンタルという土壌への良い肥やしにはなってくれる。」

「人生も社会も不確実なものであり~」

「生きていかなければならないのに、自分に必要なものを誰も供給してくれないとき、人は自分を本気で頼るようになる。」

「人々は何かにすがったり信じたりするのをやめる瞬間がどこかであると思うんです。」

「~想像力を豊かにするのは、悲しみと孤独です。」

「人間を突き動かすのはやはり生き延びることへの“業”です。」

「~2050年に石油や石炭がもう尽きてしまうと。」

「今までの勉強をすれば幸せになれるっていう夢の公式は、確実に崩れ去りつつある。」

オーダー

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■オーダー
 時代が変わると常識も変わるのか。
 少し前からコーヒーショップやファーストフード店では、座席から注文するとスタッフが持って来てくれるというやり方が登場した。
 自分の常識では、客に運ばせる事で、人件費が不要になり安く提供出来る、であった。
 そして、頭に来るが、この方式で注文するとチケットより安いのである。
 さて、この流れをどう理解すればいいのだろう。
 自分程度の知識では、レジ操作が不要になる分安くなるだろう、ぐらいしか考えられない。
 しかし、ファミレスやラーメン屋さんやお寿司屋さんは、座席からタッチパネル注文が普通であるが、これは価格に織り込み済みということなのか。

■「100歳まで生きてどうするんですか?」(末井 昭著、中央公論新社、2022年)を読む。(その2)

「明日死のうとも、自己責任である。」

「寝たきりになる前に自分の人生を閉じることを願います。」

「生きることが当たり前の社会で、私たちは常に生と死の間におかれています。」

「日本は“生きることが保証されている社会”だと漠然と思っていたのに、本当は何も保証されていないことが、コロナ禍になって露わになったからではないでしょうか。」

「人間、どうせいつかは死んでしまう」

「死ぬことは隣の部屋に行くようなものです」

「現代科学の最重要事業は死を打ち負かし、永遠の若さを人間に授けることである。」

「~健康な状態なしに生だけを引き延ばそうとするのは、断じて許しがたい罪である。」

「~一番手間亡く簡単なのは、老化を病気と位置づけることだ。」

「~不死を達成した人は“史上最も不安な人々となる”~」

「~老人にそんなに長生きしてもらっては困るというような風潮があると思います。」

「“良い人生”とは、優しい家族と素晴らしい友人がいて、高度のスキルと知識を持ち、心身とも健康に恵まれ、お金にも不自由しない生活を送ることだそうです。」

「~繁栄の病“肥満”にならないように~」

「~酒の飲み過ぎで体を壊した人や廃人になった人がいます。」

「買いたいものもないし、外食もほとんどしません。」

「死ぬまで毎日楽しく生きられたらそれでいいのです。」