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■外国語
これは、今更始まったことではないけれども、歳を重ねるに従って気になって来た。というか、耳障りである。
多分、発信している人達は、普通のこととして意識をしてないと思われる。外国語での発信である。
現役のころは、自分も無意識に発信していたと思われるので、反省を込めて記す。
さっと思い出すと、ウェルビーイングとかエビデンスとかが浮かぶ。
この内、エビデンスは、職場で国際認証のISOの責任者だったこともあり、馴染みは深いものの、一般的には、ナンジャそりゃーになるのではないだろうか。
昔からこの国には、外国語が侵食している。
そして、自分に分からない外国語の場合は、イライラする。勝手なもので、分かる外国語の場合は、普通のこととして、聞き流してしまう。
特に、政治や行政に携わる人が、分からない外国語で発信すると、自分の脳は拒否反応を起こすようだ。
そうして、発信者のことを想像してしまう。
どうだい、私は、こんな言葉を知っているんだぞ。それも、外国語で。
すごいだろう。だから、下々の者たちは、私を敬わなければならない。尊敬して、従がわなければならない、と。
伝わらない言葉を連呼して何の意味があるのか。
選挙では、こういう輩には、投票しない。自分の無知が笑われているのが悔しいからではなく、母語で伝えられないほど貧弱な国語力の輩には、任せられないと考えるからである。
■「単純な生活」(阿部 昭著、小学館、2018年)を読む。(その1)
「物事はやはり単純でなくてはならんのだ。複雑なものはうさんくさいのだ。」
「~どうせなら一つうんと変わった病名を言ってもらいたいという~」
「私の心臓には薬なんか必要じゃないのだろう。」
「人は知らず、私の夢は十中八九は色がついている。」
「私は日頃から私立学校が親の弱みにつけ込んで、入学金その他を多額に只取りする商法を快く思っていない。」
「見て飽きないのは、やっぱり人間の生活、それもつましい庶民の暮らしである。」
「冷房で無理やり汗を引っ込ませているうちに、筋肉という筋肉が、いわば冷凍肉か乾燥肉みたいに硬ばってしまったものと見える。」
「物事はなるようにしかならない」
「家庭菜園~貴重なガソリンをふりまいて馬鹿なドライブなんかするよりは、よほど利口なレジャーかもしれなかった。」
「平和な世の中でも人間はいくらでもひどいことをするのである。」
「室戸台風~風速六十メートルで~」
「~あけましておめでとうございます。ことしもお元気で、そして来世は天国へ行らっしゃるように・・・・」
「どうやらわれわれは沢山のものを手に入れた代わりに、同じくらいに多くのものを失ってしまったらしい~」