顔から火が出た

魯山人の美食」(山田和著、平凡社新書、2008年)を読む。
 旅館などへ行くと、北大路魯山人が絶賛した料理という宣伝を見かけることがある。
今までは名前しか知らず、どうせ金に任せて高級品ばかりを食べて来た人かと思っていたが、顔から火が出る思いであった。乏しい知識、断片的な知識で判断していた自分が恥ずかしい。素材の旬を大事にし、おいしく食べることに勢力を向ける。この本もお茶漬けだけで数十ページを割いている。この執念には脱帽である。
 どんなことも、とことん突き止めればそれが芸術になるということか。
 高い食材を求めた続けたのではなく、おいしく食べるための食材を追求し続けた。
昆布や鰹節、しょうゆや味噌、塩や山葵も産地や季節にこだわっており、その時の一番おいしい時に食べている。著者は富山県の人であり、父親が交友があったようで鱒や味噌を送っていたとのこと。魯山人は鱒が原因で亡くなられたらしいが美食家として本望であったろう。

歩く気力が出ない
 結局、今日は外食に回転ずしに行っただけで、一日中、本を読み、眠くなったら昼寝し、また、本を読むという生活になった。これはいかんぞ。明日は、出かけなければと思い天気予報を確認すれど雨模様。家人いわく、雨でも歩いている人がたくさんいるとか。エ〜!
 ♪「雨がシトシト日曜日 僕はひとりでぇ〜」となりそうだ。