相対性理論

■「死を想う」(宇治土公美津子著、二玄社、2003年)を読む。
 サブタイトルに作家が綴る心の手紙とあった。作家は何か書いたものを残しやすいためか、壮絶な内容に終始涙腺が緩みっぱなしであった。古い8年ほど前の本だけれど、こういうのは、書店にはもうないであろう。いつの世も新しいものが良いとは言えない。
 特に、最近ひいきにしていた歌手などが亡くなっているので、この方面に興味が行ったのかも知れない。

相対性理論
 今日は良い天気で、数日前から家族に山行きを宣言していた。しかし、溝掃除の日になっていた。さて、優先順位の重み付けを検討した結果、圧倒的多数で溝掃除になり、山行きは中止になった。当然であろう。そこで、日ごろ乗っていない車で日用品などを買い出しに出かけた。コンビニに昼食の用事があったので、車と車の間に、頭から突っ込む。止まったはずが、動いている。ブレーキを力いっぱいに踏んでいるにも関わらず動いている。ぶつかる!と思った。しかし、錯覚で自分の車がちょうど止まったと同時に横の車がバックしたため、隣の車が止まっているという先入観のため、相対的に自分の車が進んでいるように見えたに過ぎない。ひやひやであった。もう車はこりごりである。午後からは、大学院の研究テーマの相談に富山大学へ行った。日曜日なので鍵がかかっており、公衆電話から先生を呼び出し、先生が鍵を開けるしくみになっているらしい。携帯電話を持っていれば楽だったが、そんなものいるもんか!校内の公衆電話はすぐ分かった。夕飯はリッチに外食である。ラーメン以外は久しぶりである。歩いて行ける場所で家族で食べる。高かったが、たまにはおいしいものも食べたい。が、一人相撲で家族には不評であった。