まつり

■「山の仕事、山の暮らし」(高桑信一著、つり人社、2003年)を読む。
 山の暮らしとて永遠に続けられるわけではない、都会よりもいいように考えていた自分が愚かであった。電気も水もなく生活しなければならないのだ。
 どの話もいい。500ページ近い大書であったが、ゆっくりしみじみと読めた。途中ページを閉じて、自分がその主人だったらこうしているだろうと、想像して、またページを開く。時を忘れさせる本というのはこういうことを指すのだろう。

■まつり
 山の暮らしの本を読み、テレビを見るとある家族の山の生活が映っていた。最近はやりなのか。自給自足である。さすがに、この本のように電気も水道もないという生活ではなさそうであった。不便さを表に出すこともなく、子供たちは10kmの通学路を自転車で登校している。ちょっと前までココら辺でもみられた光景である。自分の頭の中ではちょっと前かもしれないが、ず〜っと昔だったかもしれない。小さいころは、近くの神社のまつりで桜飴売りのおじいさんを妙に覚えている。割り箸を割いて、また半分にして、汚い黒い指で、ビンクの桜飴をしごきながら巻きつける。最近、祭りも行ってないなあ、自分に合った祭りというのはあると思う。最近新聞で見たような、と調べたらあった。「WaGoだらまつり」というのがあった。まさしく、自分のための祭りではないか。