車考

■「美しき一日の終わり」(有吉玉青著、講談社、2012年)を読む。
 タイトルの『一日』は『いちじつ』と読むらしい。
 最初の設定がよく分からなかったが、次第に引き込まれてしまった。最後にやっと最初の話とつながった。生まれた家を取り壊す前に見て置こうと姉と血の繋がっていない弟の55年分の思いで話しとして見事に描かれている。タイトルの意味もやっと分かった。

■車考
 マイカーを放棄して何年たったかも忘れてしまった。みんなで山へ行くにも待ち合わせ場所まで行けないので、数えるくらいしか行けてない。先輩からも何故車に乗らないのか、車が無いと登れない山が多いと諭されているが、どうも買おうとする気持ちが起きない。徒歩通勤を始めた時の周りの反応は面白かった。傑作なのは、人身事故を起こして免許取り消しになったのではないかというもので、次は、お金が無くて買えないのだろう、かわいそうにというものだ。腹の中で笑いが止まらなかったことを思い出した。今の若者も車を乗らないらしい。そこで調べた記事を転載する。自分の考えに近いようだ。
「長らく若者のクルマ離れが叫ばれています。しかし私を含め若者は、そもそもクルマに近づいてなどいないのです。

 なぜ、興味がないのでしょうか。初回の今回は、「なぜ私はクルマに興味を感じないのか」を考えてみます。

 最も大きな要因は、「買うお金がないから」ではなく、「必要がないから」です。なぜ必要ではないかと言えば「公共交通機関が発達しているから」となるでしょう。しかし私の真意はそこにはないのです。私は、他人や自然環境に迷惑をかけてでも手にしたい欲求と規範とを天秤にかけるのです。

 クルマに乗れば、交通事故で人を殺すかもしれません。排ガスは自然を破壊するかもしれません。維持費は他の支出を圧迫するでしょう。それにも関わらずクルマが欲しいのであれば、買えば良いでしょう。お金がなければ貯めればよいでしょう。けれども私には、これらのデメリットを越えるほどのメリットが感じられないのです。コンコルドがその速さ以上に環境に負荷をかけることによって進化の袋小路に入ってしまったことを想起せざるを得ないのです。」
 
 なるほど、上手くまとめてある。大学生とのこと。