若者向けの自活

■「熊野修験の森」(宇江敏勝著、新宿書房、2004年)を読む。
 何かに引き付けられるように読みこめた。難解な漢字や宗教用語もあったが、素直に読めたという感じだ。大峯山脈奥駆け記と副題が付いている。熊野古道は計画しているが、奥駆けというのがあることを始めて知った。詳しい記述と周辺知識の豊富さは著者の大きさを伺い知ることができる。後半では祭りや行事についての記述がある。
 心に残ったのは、60日間の断食修業をしている僧が、55日目に死亡する。修業中の写真も掲載されていただけに驚いた。
 また、文中ところどころに書かれてあるのが、「六根清浄、懺悔懺悔」である。これは『ろっこんしょうじょう さーんげ さんげ』と叫びながら歩くということである。

■若者向けの自活(新聞より抜粋)
本書で語られる「起業家精神」とは、煎じ詰めれば、誠実な人付き合いの姿勢であったり、常識を疑うものの考え方であったり、失敗にくじけない心の強さだったりする。要は誰もが必要としているものだ。
 しかし、その核にあるのは、「自分に許可を与えること」。つまり、リスクをどんどん引き受け、躊躇せず新しいことを自分にやらせるというバイタリティにあふれた生き方だ。
やりたいことができず、生きていながら死んだような生活を送って、あげくに鬱病になるくらいなら、貧乏でもやりたいことをやって暮らす方がいい。
ナリワイとは、「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事」
「外車を乗り回したい」なんてまったく思っていない若い世代にとっては、「収入アップで豊かな暮らし」だけでなく、「支出ダウンで豊かな暮らし」という道もあるという話は、ある種の福音になるのではないだろうか。
この人たちの行動力の源とはなんだろう。
 自分以外のすべての人間が当たり前だと思っていることでも、自分で考えて「おかしい」と思ったら、躊躇せずに自分の思うとおりにやる。
 右に行くのが常識で、周りの人はすべて右に行くとしても、自分の胸に手を当てて左に行きたければ、左に行く、というような自我の強さ。
 言い換えれば、「自分の感覚を裏切らない」ということだろう。
周りに流されないでいると、世の中の矛盾に気づく。