海外のリストラ

■「人生を歩け」(町田 康・いしいしんじ著、毎日新聞社、2006年)を読む。
 二人に街を歩きながらの会話を本にあいてある。面白い試みであろうが、昔住んでいた街に行って、ああだこうだはあまり興味が湧かなかった。
 「朝から夕方まで図書館で本を読んで、それで寝る。その繰り返しでした。」

■海外のリストラ
日経ビジネスからの抜粋である。
「2012年7月から年末まで、CFO最高財務責任者)としてのビジネス面でも、一児の母としてのプライベート面でも、とにかく色々なことが起こった。残念ながらほとんどが良くないことだった。その心労などもあってか、昨年後半から2013年1月にかけて体調不良が続き、その回復に時間がかかった。
 一体何があったか、すべてを書くのはさすがに本コラムに相応しくないと思われるので、掲載できる面白かった出来事をかいつまんで紹介したい。
 どういう出来事かというと、業績不振、人員削減、雰囲気悪化、管理職の反乱と退社、などである。並べてみると相当暗いが、終わりの方になると、CEO(最高経営責任者)の奮起、新オフィス開設、業績向上、といった話も出てくる。
数字をにらんでリストラ策をとにかく作成してCEOに見せ、早速実行に移してもらった。内容は余剰資産の売却、社員の健康保険料の見直し、オフィス兼倉庫のリース料の大幅削減、そして人員削減だった。
人事査定というと聞こえはいいが、実際は「いなくていい人」探しだから、やっていると胃が痛む。まず倉庫で働く社員の中から2人を解雇した。そのうち1人は主人の古くからの友人で、家族ぐるみの付き合いをしており、私もよく知っている人だったから、とても辛かった。
 車両売却と第1回目の人員削減により、弊社のリストラは社員全員の目に見える形になり、会社全体に暗い空気をあっという間に漂わせた。
そういう状況下でのリストラ開始に、社員の態度ががらりと変わった。リストラ対象にならないように、一生懸命仕事をしようというポジティブな方向に変わってくれれば良かったものの、そうはならない。社員のマインドはお互いの粗探しという、ギスギスした雰囲気を生み出す方向へ動いていった。
営業部長の女性が急に辞めたいと言ってきた。正確に言えば、条件付の交渉だった。条件は次の通り。
 「COO(最高執行責任者)を解雇するなら私はこの会社に残る。COOがこのままいるのであれば自分が辞める」
3人の管理職からするとCOOは「会社の売り上げに全く貢献していないくせに、CEOから多額のチップをしょっちゅうもらい、何かにつけて私用の支出を会社の経費でおとしている人物」になってしまった。
営業部長は去っていった。COOには過酷なほどの賃金カットを断行した。結果としてリストラを加速させたことになり、社内には寒々とした空気が漂い続けた。
「営業部長が復帰したいと言っている」と伝えた途端、コントローラーは「No!」と即答した。」