承認格差社会

■「これからどうする」(岩浪書店編集部編、岩浪書店、2013年)を読む。
 書店をのぞけばベストセラー棚に置かれてある。この本、228名の執筆陣が2〜3ページづつ書いており、全体で653ページの膨大な本でる。半分ぐらいまでは、全部読んでいたが、あまり関係ないテーマのところは数行読みになってしまった。しかし、途中から精読になったり乱読になったり1週間ほど掛かってしまった。いくつか、ピックアップしておきたい。
「国家的支援を受けた企業は世界市場で競争に勝ち抜き、大きな収益を上げる。だが、『余波』はいずれ『まわりの貧乏人』たちにも『滴り落ちる(トリクルダウン)』であろう」
「持続可能な社会とは、『将来の世代が、そのニーズを満たすための努力を損なうことなく、現世代のニーズを満たす』社会である。」
「いい歳した大人なんだから、いつまでも若造みたいにガツガツしていないで、どっしり構えていこうじゃないか。」
「一、 ゆったりとした静謐な空間に身を置く。一、ぼんやりの時間をたくさんもつ。一、大自然に溶け込むことに歓びをもつ。一、土を踏み、風に祈りながら歩く。」
「大量生産ではなく、少しの優れたものづくり。成長ではなく縮小こそ、能力を必要とする。昇り方ではなく降り方こそ、教育の要である。・・・・競争せずに自分の能力を伸ばす方法、病院に行かず回復力を高める方法、そしてお金をあまり使わず豊かに生きる方法」 

■承認格差社会
週間ダイヤモンドからの抜粋である。
「強迫観念にとらわれたかのようにメールの返信を急ぐ人」、「せっかく一流企業に入ったのに辞めて、所得を減らしてでも自分らしい職場を探す人」……。一見不可解な現代の若者に特徴的なこれらの行動。こうした行動に駆り立てる原因を探っていくと、彼らの「認められたい」という思いに行きつくことが少なくない。現代において若者を悩ませる最大の問題は、経済的不安ではない。「認められない」という不安なのだ。
一方で、若者でない世代も含めて、日本に蔓延する閉塞感の正体を探る意味でも「承認」、さらに「承認格差」は、大きなキーワードだと考える。この連載では、経済的な格差に苦しむよりも深刻かもしれない、「“認められない”という名の格差」を考えていこうと思う。
家族は次々に、家族の外側に接続する装置を得ていったといえる。風通しが良くなったともいえるが、一方では、家族団らんの時間を共有するという時間が減り、家族におけるコミュニケーションは以前よりも小さくなったともいえる。これにより、家族はいまや、「ただ純粋に生活を共にする人」になりつつある。極端にいえば、「ルームシェア」などとそれほど大きな違いはなくなってきているのだ。これは家族という概念の危機に瀕しているといえないだろうか。