フレキシキュリティ

■「『アルプ』の時代」(山口耀久著、山と渓谷社、2013年)を読む。
 感動しっぱなしであった。アルプという雑誌の最初から関わっている著者ならではの内容であった。昔の登山のダイナミズムがひしひしと伝わって来た。
井上靖の山岳小説『氷壁』の連載が朝日新聞で始まった。」
「山のことを文章に書こうと思えば、自ずから文学的にならざるをえない。」
「器用な世渡りのわざに暗く、金銭欲にも名誉欲にも無縁だった人の“とおとぼ歩き”の人生」
「山は有り難いものだと思う。山を眺めて有り難く登って有り難く、想っても有り難い。」
「ひとつの旅なり山行なりを紀行文にする場合、全体からなにを省き、なにを書くかで、すでに取捨選択の事後処理がほどこされる。」
「ただ山へ登る、頂上を極めるだけが目標で、それを文や絵に残そうとする人たちが少ないのです。」
「現在の山を登る人で文章を書ける人があまりにも少ない。」
「自然破壊の自動車道路『ビーナスライン』が全通する。」
「機械の便益にたよることは登山から本質的な重要部分が失われるのを避けられない。登山のもつ精神性の希薄化をまねく。」
「山との心の対話」
「感性は磨かれなければ衰えてしまう。ならばどうやって磨いたらいいのか。山についていえば、五感を十二分にはたらかせて、山という大きな自然との交感を深めること。」

フレキシキュリティ
週間ダイヤモンドからの抜粋である。
フレキシキュリティとは、自分の意志で、自分を最も生かし切れる場で活躍する。社会が、そうした個々人の意志を尊重できるように、柔軟性とツールを兼ね備えることだ。勇気を持って飛び出せるだけの道具立てや道しるべ、ある程度のセーフティネットなど。そして、飛び出すことを応援する文化が必要だろう。そして、最も重要なのが次の仕事に就くための再教育の場であることは強調したい。
 ある会社で必要なくなった技術やノウハウが、世界中ですでに必要ないものになっているということはあり得ない。どこかで使えるはずであるし、それこそリーダーシップや企画立案力、コミュニケーション能力など、汎用性のあるノウハウも少なくない。再教育で、持てる能力をさらにブラシュアップすることも可能だろう。
会社の中ではなく社会の中の適材適所を実現する。フレキシキュリティは個人にとっても会社にとっても、社会にとってもプラスになるものでなくてはならない。
ところが今は違う。そもそも、人を育てる場が少ない。それでも座してチャンスを待っていたのでは、塩漬けになるのも道理だ。
だからこそ、会社に対して従順なだけではダメだ。極論を言えば、与えられた仕事はさっさとこなして、残ったパワーで、本来この会社は何をすべきなのかを真剣に考えて、仕込みを始める。そして、提案する。そうしたしたたかさが必要だ。
なぜそうならないのか。自分の能力に対して自信がないのか、あるいは怠惰なのだ。いずれにしても、必死さが足りない。
自分の能力を、社会に売れる形で言語化できないということは、もっと根本的な意味で、自分の本当の能力を認知していないということになる。言語化するには抽象化する必要がある。汎用性のある能力として認知する必要がある。この時に大切なのは、誇大に表現しても矮小化してもいけないということだ。」