社員は家族

■「修業論」(内田 樹著、光文社新書、2013年)を読む。
 武道の話であった。
「処罰も報奨もなし。批判も査定も格付けもなし。それが修業です。」
「不運を事前に察知する能力の高い男」
「敵とは、私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」
「未来を予測しないもの」
「自分が自分の身体の支配者であるという全能感」
「人の技を批判しても上手くならない」
「無知とは〜学びを阻止し、抑制せんとする懸命な努力のこと」
「日々の生活そのものが、稽古であるように生きる」
「常住坐臥」
「額縁を見落としたものは世界のすべてを見落とす可能性がある」
「先人が工夫したあらゆる心身の技法は生きる知恵と力を高めるもの」
「瞑想のもたらすもっとも重要な達成は、他者との同期である。」
「自分が知的に探究していることと、身体が感覚的に探究していることが、同じものだという直感がした」

■社員は家族
日経ビジネスからの抜粋である。
 「お酒が、上司と部下を“いい関係”にさせる潤滑油となっていた時代、会社は社員をまるで家族のように大切に扱っていた。「安心して働きなさい」と終身雇用していたし、「経験」という数字に反映されにくい力を、ちゃんと評価する年功序列という制度もあった。
 数年前、ある会合で「社員は“家族”です…」と、自分がどれだけ社員のことを考え、どれだけ大切にしているかを、“家族”という実に便利な言葉で表現したある大企業のトップの方と対談をしたことがある。
 ところが、その対談の3カ月後。その会社で大規模なリストラがあった。表向きは希望退職を募ったものだった。だが、実際は生産ラインの従業員にターゲットを絞り、生産ラインの仕事を大幅に縮小し、希望退職者を募った。会社に行って、仕事もなければ居場所もない社員は、辞めるしかない。彼らは、半ば強制的に“希望退職”をさせられたのだ。 」