友達は減って行く

■「自分を生かす“気”の思想」(中野孝次著、集英社新書、2001年)を読む。
 最近亡くなられたはずなのに2013年購入になっていたが、2001年に出版されたと分かり少し安心した。
 幸田露伴の努力論は、確か別の人も(名前が出て来ない)書いており読んでいる。
「ふだん何の努力もしないで、一回限りの成功を狙っても無駄だ。」
「星座だの、血液型だの、干支だの、手相・人相だの〜新興宗教にひっかかって大金を失うのはそういう人達だ。」
「幸福と言うものは、何もしないでいて天から与えられるものではない。当人が工夫と力を尽くして、それがやって来ざるを得ない状況を作り上げてゆく」
「歴史は鏡」
「安物に囲まれている生活は、生活までは安っぽくなる。」
「人間の生活はこういう無名の名人たちのしたことによって支えられる。」
「物をゾンザイに扱う人は、自分の人生をゾンザイに扱っているのだ。」
「老年になってぶらぶら普通に歩いていては、脚力は年々衰えていくばかりである。」
「何もしないでぼんやりしていたのでは、いつまでたっても元のまま、一生ぼんやりすごすことになる。」
「明治末期のそのころ、事業を起こしては失敗したり、経営していた会社が潰れたり、会社をクビになったり、職がなく苦労したりしている。」
「五十五歳の時に自主定年」
「巨大会社の重役や社長でも、その名刺上の肩書を失って裸の一個の人となったとき、なんと威厳を欠き、誇りを失い、人間的にみじめであったことか」
「一個の人間としての考え、思想、判断、見識、趣味、人格をつねづね養っておかなければならない」
「気と気の神話、協応〜〜その大なるは〜気の道というのである。」

■友達は減って行く
日経ビジネスからの抜粋である。
 「大人になったら、友だちはいなくなるものだ。
 私自身が、そうだったからということもあるが、まわりを見回してみても、われわれの時代の人間は、おしなべて、そんなふうに考えながら年齢を重ねてきたものなのだ。
 大人には友だちなんかいないぞ、と。
 ところが、21世紀の若者は、いくつになっても友だちとツルむことをやめない。
 このことを、私は、いつも不思議な気持ちで眺めている。
 組織は、仲間になった人間たちを、友情ごとひっくるめてひとまとめに利用しようとする。
 組織のメンバーが、それぞれに仲間への忠誠心だと思っているものは、結果として組織の思惑を実現するためのエネルギーとして利用されている。とてもよくある話だ。
 その種の研修は、見知らぬメンバーの間に強烈な仲間意識を育むことを最終的なゴールにしている。たった二週間ほどの期間で、40人の新入社員たちは、10年来の友人のような強い絆で結ばれることになる。
 人間が大人になって、友だちと縁が薄くなるのは、淋しいことだ。
 が、一人になってはじめて、自分のアタマでものが考えられるということもある。
 そういう意味で、大人になった人間は、仲間とつながっていない時間を確保するために、時々、LINEの接続を断ち、SNSを閉じるべきなのかもしれない。 」