イノベーション

■創作

◎青い空のどかなひかり春霞    禅智

 玄関を出たところで、何とも言えないいい気持にさせられた。快晴の青空、柔らかな日の光、心地よい風、のどかな朝の風景である。山はどうか。麓の方は霞んで見えないが、稜線は霞みながらも確認できる。この霞は、黄砂やPM2.5ではなく、雪解けの水が水蒸気となって山を覆っている春霞であればいいのにと願わざるをえない。

イノベーション
週間ダイヤモンドからの抜粋である。
価値のあるイノベーションを生むためには、一にも二にも現場感覚が重要だ。「事件は現場で起こっている」とい有名なセリフがあったが、「イノベーションも現場から生まれる」ものなのだ。決して研究所からではない。科学技術者しか生めないものでもない。
 確かな社会的価値を生み、成功したベンチャー企業経営者には、必ず、“義憤”があった。
義憤とは、不公正な物事に対する憤りと定義されている。怒りであるが、私怨ではない。理想的な社会に反することに対する怒りだ。
義憤を持つ者は、客体との距離がない。一体化している。「これはおかしい。何とかしなければいけない。誰もやらないのであれば、自分がやるしかない」。そこで決意して、それから技術や人脈やノウハウや、何もかもを必死になって組み合せて解決を試みる。
 起業もそうだが、イノベーションを起こすためには、第一に、課題を客体ではなく主体化、つまりは自分事化しなければ始まらないということだ。
 主体的に問題を見つけて、その問題と自分を一体化させるにはどうしたらいいか。そのためには、自分の心の叫びのような問題意識がなければいけない。それが義憤なのだが、これは持とうとして持てるものではない。
義憤は探して持つものではなく、否応なく、持ってしまうもの。一方のイノベーションは起こそうと思って起こすものではなく、やむにやまれず、起こしてしまうものだ。
 では、イノベーションを起こすための義憤を持つにはどうしたらいいのか。そのためには、自分の中にぶれない基軸を持って、アンテナを張るしかない。
その基軸とは、(広い意味においても、狭い意味においても)社会とはどうあるべきか。そのために自分は、また会社は何をすべきなのか。どう生きるべきなのか。そうした社会観や人間観を持つことだと思っている。
 社会はこうあるべき。そうした基軸を持つことで、解決すべき課題にぶつかる。それを何としても解消したいという義憤を持ったときに、人はイノベ―ターになる。