盆過ぎて

■盆過ぎて
◎盆過ぎて夏の終わりを告げる朝    禅智
 今年のお盆は雨が多く山では遭難報道がなされている。おかげで打ち水効果のため涼しく感じられる。お盆を過ぎて朝のこの気温ではもう夏が終わったと感じる。予報では、日中は猛暑と告げていた。
 記憶は古いが、つくつく法師が鳴くと夏が終わったと感じていたように思うが、ここ数年蝉の声を聞いていない。これも、環境破壊の一つなのか。
 小学校の前を通ると登山姿の先生や生徒がバスに乗らんとしている。お盆も過ぎて一般の登山客が少なくなる日を狙ってのことだろう。天気が良くて良かったと心の中で思う。
 朝の涼しい気候とは打って変わって、日中は予報通り真夏の天気になった。とにかく、夏真っ盛りで暑いあついの連続であった。しかし、夕方は涼しくなっており、どことなく秋の気配が感じられた。

■「今西錦司伝」(斉藤清明著、ミネルヴァ書房、2014年)を読む。
 山をやっている者でこの人を知らない人はいないであろう。自分は、1500座以上の山に登った学者さんという知識しかなかった。このような本が出てくれて嬉しい。大きな元気をもらった。
「私に全体自然のあることを教えてくれたのは、山と探検であった。」
「山へ登るなら、せめて柳田邦男の『山の人生』ぐらいは、読んでおくべきだ」
奈良県の白鬚岳で1500山登頂を達成する。」
「生きている限りはいつまでも山に登り続けるという、山の巡礼者であった。」
「育った環境から受ける影響というものは、いつまでも消えずに残る」
「私にとっては、山に登り、山岳を研究することそれ自体が、自分の仕事であって欲しかったのである。」
今西錦司が山に引き込まれた最大の動機は母の死であった。」
「山は自分にとって真剣なものである。又絶えざる美の連続である。」
「足に頼れ、軽くかつ確実に登れ、ホールドは低く、あらかじめ求めて、必ずそれに従え、岩からできるだけ体を離し、筋肉よりバランスに頼れ、動作は連続的に、穏やかに滑らかに、リズムを得ることにつとめよ。」
「時々刻々に変化する山の状態に応じていくためには、全身をあげて当たらなければならない。」
「自然がささやくようであった。」
「書かなければならない」
「鉛筆とノートと望遠鏡さえあればできるフィールドの仕事」
ギボウシと間違えて摘んだバイケイソウの芽立ちを食べた2人が中毒をおこしてのたうちまわった。」
「それは、あんたのオリジナルですか?」
「日本列島には山と名のつくのが、一万三千もあるという」