日向

■日向
◎今日からは日向を通る通勤路  禅智
 台風16号が接近している。こちらの気候は最高の行楽日和であるとテレビが報じていた。しかし、気温は日々確実に下がっている。標高2000mでは、もう霜が降りていた。
長袖の上着を羽織り、太陽の照っている日向の道を歩く。汗ばむほどではない。赤江川の水が澄んでいるが、生物の気配はない。途中、白い薔薇の咲いている家の前を通る。どうも薔薇は赤いというイメージが定着しているのか、白い薔薇を見た時に祭壇を連想してしまった。今日の新聞で、30代で亡くなられた方や、登山道で骨折された人が載っている。
 コラムに知っている人が載っていた。同姓同名でなければ一歳上の先輩である。確か弁護士をされており、出版されている書物を読んだことがある。登山関係の内容であった。靴底が剥がれたということである。自分はまだ経験したことがないが想像するに寒いものがある。

■「0葬」(島田裕巳著、集英社、2014年)を読む。
 前作、葬式は要らない以来である。
「死者が生きる場所」
「還暦が2度めぐってくることを『大還暦』と言う」
「余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだ後は墓碑も建ててもらうまい。肉は焼き骨は粉にして西風の吹く日大空に向かって撒き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする」(夏目漱石
「四苦八苦」・・・「生老病死」「愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)」
「釈迦は、人生の無常を悟ることによって、病にまつわる苦から逃れる道を見出していったわけだが、現代はお金をかけるということで解決が図られている。」
「業者の側からすれば、死者は『金のなる木』なのである。」
「現代は資本主義の世の中であり、資本はあらゆるものを消費の対象にしようとする。生きることも、老いることも、病にかかることも、そして死ぬことも、資本の論理から逃れることができない。すべては金の種となり、金を使うことを強いられるのである。」
「終活」
「社会は進歩するのではなく、逆に退歩していくという教え方である。」
「葬儀は要らない。そんな時代が訪れている。」
「人は死ねばゴミになる」(検事総長伊藤栄樹)
「持たないこと、所有しないことの重要性」