春よ、来い

■春よ、来い
◎明るさに春はまだかと空を見る   禅智
 昨日の夜は、ストレス度1の状態であった。指先が冷たい。原因はいつも不明であり、突然やって来る。寒さも原因していると思い、風呂に入る。追い炊き続けて、汗が出るまで入る。部屋に戻り本の続きを読もうとしたが、ぐったりで座っておれない。このままだと、パソコン、テレビ、蛍光灯を点けっ放しにして眠ってしまうので、やっと起き上がって消して眠った。
 朝もゆっくり7時前に家を出る。冬至も過ぎたばかりだが、明るい。春よ、来い。早く、来い、と待ちわびる気持ちになった。

■「親鸞」(佐藤洋二郎著、松柏社、2014年)を読む。
「海の水がなければ人間は生きていけないし、取りすぎると喉が渇き、死んでしまう」
「理の意味は、石工が硬い石をノミを当て、割ることだ。つまりは筋目を読むことであり、そこから転じて物事を正しく行うことや整えるという意味がある。」
「急ぐとも急がぬとも、みな往生に行きます」
「体の疲れであればぐっすり眠れば治る。逆に精神の疲れは、いくら寝ても取り除くことができない。」
「我が命はさほど遠くない日になくなるのだ。なにが起きたところで大差はない。」
「既往を咎めず、〜自分の氏育ちや過去を問うても、なんにもなりませぬ。」
「ただわかったふりをして生きているだけではないのか。実際、なにも知らないのだ。」
「金品や権力だけでなく、人間は動く」
「人間が一番耐えられないのは、孤独に対してだ。」
「欲が人間を駄目にする」
「どんな人間でも朽ちる、誰一人として例外ではない」
「言葉が人格をつくる」