ヴャジデ

■ヴャジデ
◎ドアを開け何処か懐かし雪の朝   禅智
 デジャブとは、初めて訪れた場所であるにもかかわらず、前に来たことのようなきがすることをいう。最近、よく使われている。
 今日はこれの反対で、毎日見ているにもかかわらず、他の場所のように感じたということで、ネーミングがシャレである。
 玄関のドアを開けると、通りまでのアプローチが真っ白い絨毯のようになっている。牡丹雪が降っている。私は、一度履いてしまったシューズを脱いで長靴に履き替えた。肌の露出を抑える目的で、手袋とフードをする。上着はウインドーブレーカーのみである。
 傘を差して歩くとすぐに暖かくなる。雪は降っているが、風がないため暖まるのが早い。
 ここ数年暖冬であったため、今日のように真っ白い道を歩くのは久しぶりである。
 なんか一瞬、別の土地での出来事のように思えてしまった。

■「おいしそうな草」(蜂飼 耳著、岩波書店、2014年)を読む。
「自分の頭で考える人にとって、読書は、マイナスにしかならない。」(ショーペンハウアー
「顎の先のとがった部分を、おとがい、という。」
「待っているものは、来ないのだ」
「慣れることがもたらす穏やかさは、感覚の死でもある。」
「学ぶな、考えるな、ただ自らを感じよ」
「いつも水を持っている」
「静かな死がゆっくりと近づいてくる」