うす氷

■うす氷
◎何気なく道に蔓延るうす氷   禅智
 いい天気になりそうだが、ひどく冷たい朝を迎える。道路の上で濡れていたところは氷になっており、数回滑った。通勤中、横断歩道の白線部分でも数回滑る。転びはしなかったものの緊張を強いられた。車もカーブで曲がるときに滑っており危なかった。ちょうど交番の前であったので、お巡りさんも目撃してどうしようかとためらっている様子が見て取れた。日中は晴れたので、朝の束の間の出来事である。
 今ネットで毎日新聞を見ていたら、独学の時代という記事があった。確かに、今はパソコンで勉強がでできるなあ、と考えていたら自分は何年も前にその手の大学を卒業したことを思い出した。講義はパソコンで聞いていた。しかし、語学は、ユーチューブで学習できるし、外国の大学の講義も聞けるというのがいい。早速、登録してみようかなどと思ったが、何の目的もなく行動したのでは効率が悪い。今年は、熟慮断行の年である。
 数日前からパソコンでラジオを聞くようになった。テレビ画面を「動く絵画」として音無で付けていたが、どうしても集中できないので、ラジオにしようと思っている。全国のラジオ曲を調べて昔のフォークソングでも聞けたらいいなあと思う。ユーチューブは著作権問題で気に入ったのが削除されているのが多くなった。
 テレビは真剣に見ている番組がある。ディスカバリーチャンネルのサバイバル番組である。最近は、男女二人が一糸まとわぬ姿で許された1つの道具のみ持参して21日間生き抜くという番組がある。これは、非常に面白く、ためになっている。

■「定年後のリアル」(勢古浩爾著、草思社、2010年)を読む。
 何度も声を上げて笑いそうになった。これが本当であろう。定年前の必読書と思う。
「〜退職本や老後本はほとんど役に立ちません」
「〜具体的な方策を他人や本に求める根性がすでにだめである〜」
「〜退職したただの中年男、ただの初老の男にすぎない。」
「もはや勤めに出るつもりはまったくなかったので、雇用保険はもらわなかった。」
「毎日が日曜日は大してうれしいことではない」
「他の曜日があってこその日曜日である。退職者は曜日も失うのである。」
「〜公園のほかは図書館に行くか、喫茶店で本を読んだり原稿を書くだけである。」
「退職者は衰退や命の終焉に向かっていく〜」
「病気はいきなりやってくる」
「つひにゆく道とはかねてきゝしかど昨日今日とは思わざりしを」
「テレビを見て、散歩をして、本を読むだけでけっこうである」
「人生は長生き競争ではないのだから、ただ長く生きればいいというものではあるまい、死にごろというものがある。」(上坂冬子
「はっきりいって年寄りは醜い」
「本を読めば、適切な答えが書いてある。そんなことはありえないのである。」
「答えを知る必要のない質問はするな」
「定年退職は終着駅ではなく、乗換駅だ〜」
「定年退職なると、その先のレールがないのである。」
「レールなどもういらない」
「孤独な散歩者」
「〜狭く、浅く、幼稚である」
「趣味は老人のものだ」(村上 龍)
「自由とはじつに金のかかる代物である。」
「仕事を辞めてはっきりと変わったのは、昼間の青空をよく見上げるようになった」
「老いたときにかぎらず、人が恐れるのは孤独である。」
「本当の幸せは本気で生き、みじめな自分になることを覚悟した人にしか手に入らないもの」
「余命を一年と思って生きる」
「いずれ、ほんものの死が眼前に迫って、私は蒼白になり、したたかに打ちのめされる」
「生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない」(五木寛之
「いままで死ぬことに失敗した人はただのひとりもいない」
「自分ひとりだけの問題が切実な人間にとって、高齢化社会問題なんかどうでもいいのである。」
「ほんわかとは、安穏であり平和である」
「六十歳を過ぎて妻を失った夫は九年以内に73パーセントが死亡する」
「五年も十年も一日一日の積み重ねでしかないのである」
「私が死んでも、たったひとつの命が消えて行くだけのことである。」
「これからの老人はもう縮小均衡の、まったく新しい生活のスタイルを考えるしかあるまい。」