夕涼み

■夕涼み
◎空焼けて烏がカーと鳴く夕涼み    禅智
 曇り空で涼しい日であった。歩くにはちょうどいい。野鳥は、スズメ、ツバメ、キジバト、カラスしかおらず、撮影は空振りかと思っていたが、田んぼに大きなアオサギが立っていた。見つからないように、家の陰でカメラを準備し、撮ろうとした瞬間に飛び立ってしまった。難しいね!
 今朝も職場に着くやいなや、明確な胸の痛みがあり、処方されている薬を服用する。
 ああ、今日も朝から胸がウイ!
 職場に薬を持っているので、同僚の目に止る。薬に詳しい人がいて、自分の飲んでいる薬は自分の思っていた薬ではないことが分かった。医者からは、胸の痛み止めと聞いている。どうりで、効かない訳だ。胸の痛みの原因は、ストレスによる肋間神経痛である。今月の診療で薬を変えてもらおうと考えている。
 近くの公園に行く。途中、お菓子を買ってベンチに座る。野鳥がたくさんいる。ムクドリであろう。群れで行動し黒っぽいのでそう思っている。
 本でも読もうと寄って見たが、曇りで明るさが弱い。そこで、ただボ〜っとする。そのうちに、お菓子を手で握りつぶし粉末状にして前にばらまいた。鳥が寄ってこないかと期待したが、何も寄って来なかった。

■「生きる事はおもしろい」(五木寛之著、東京書籍、2013年)を読む。
 立松和平さんのことも書いてあり、先日読んだのでその偶然に驚いた。また、彼は、心臓の弁を変えた後、亡くなったとも知った。これも、自分と重ね合わせざるを得ない。
「十のものを五にし、五のものを三にする。そのことでより豊かな実りのある生活を考える。」
「風邪も、下痢も、正しく実践する必要がある」
「どうせ一度っきりの人生だろう、おもしろいことがあるなら後先考えず没頭すればいい」
「人生、うまいものを食う楽しみを忘れて、いったんなんの意味があるのか」
「言葉のリズム」
「酒もタバコもやらず、早く世を去った友達も何人かいる。」
「終わってしまったことなど、本当のところは何も分からない。」
「風邪もひけないような体になったらおしまいだ」
「文庫本をもって湯に体をひたす」
「体はつねに語りかけているのだ。私はそれを“身体語”と呼んでいる。」
「きょう一日。」
「人間以外の動物と肌を接する機会は、にんげんにとってぜひあったほうがいい」
「若い時から左右両方で原稿を書く工夫をしておけばよかった」
「書店をのぞくと、つい五、六冊買ってしまう。〜一日平均十数冊の本が送られてくる。〜月に三百冊以上はあるだろう。」
「一、 機械は故障するものであること。二、人間はミスをする。三、自然災害、天災は必ずくる。」
「最近はガンの原因をストレスに求める説が流行している」
「列車も、駅舎も、街も、人も、すべて年をへて、老いていく。」
「その通学の途中、私はほとんど好きな本を読みながら歩いた。」
「人はすべて、『病める心』の持ち主である。」
「仏教とは、うたう教えである。」
「善キ者ハ逝ク」
「立松さんは〜命あり 今年の桜 身にしみて〜その句会の前に、心臓の弁の手術を終えていたのだそうだ」