七夕

■七夕
◎七夕に夢を書いたはいつの日か    禅智
 早朝会議の議長なので6時20分に自宅を出る。いつ後任と替わるかを毎週気にしている。出がけのテレビでは各地雨模様ということだが、ここは夜になってからという予報であった。雲が厚いので太陽もぼんやりとしており、影はできない。
 今日の野鳥はなんだろうかと期待していた。なんとオナガが3羽競い合うように飛んでは止まるを繰り返している。兄弟なのかと思う。止まる時間が短いので撮影はなかなかであったが、やっと一枚撮ることができた。

 電線にカラス大の鳥が見える。カラスではない、ハトであろうと思っていると「デーデーポーポー」と鳴く。キジバトであった。田圃2枚を隔てた家の上にもカラス大の鳥が止っている。まっすぐに立っているので期待してカメラのズームで確認しようとしたら、首を上下させ「カ―カー〜」と鳴いてくれた。ハクセキレイがすごいスピードで上下させながら道路の向こうに飛んでいった。いつものセキレイロードには何もいなかった。

 近々の目標はなんとか、モズを大きく撮ることである。
 ヘクソカズラだと思っている花の匂いを嗅いだが、臭くなかったので違っている可能性が高い。手持ちの図鑑には載っておらず、ネットでも分からなかった。
 ああ、今日も朝から胸がウイ!
 午後から明確にズキンと胸の痛みを何回も感じる。藁にもすがる思いで効かない薬だが服用する。気休めにもならない。
 今日は七夕である。今思い出したが、一年に一度だけ「おりひめ(織女 )」と「ひこぼし(牽牛)」が天の川の上でデートをする日を山のテント場で眺めていたような記憶がある。8月の雷鳥沢だったような、なかったような・・・もう記憶が薄れている。

■「ベスト・エッセイ2014」(日本文藝家協会編、光村図書、2014年)を読む。
 このシリーズは毎年読んでいると思う。しかし、最新号がなかなか置いてなくやっと手にとった。それぞれが、短く濃くいい内容である。
「まずは薬を飲まないと決めた。」
「その意味で『大人』は、慣習という『目隠し』によって目の前の景色をほとんど見ていないのかもしれない。」
「わざと寝ているわけではない」
「歴史を知ると知らないとでは、人生の豊かさに大いなる差が生じる」
「足の裏と脳みそは何か関係しているらしい」
「およそ幸福になりたいと考えるのは、人生に負け色が出てきてからのこと」
「負け組の方が豊かな人生を送れるぞ。」
「老人は個性的な存在である」