灼熱

■灼熱
◎灼熱で地獄の釜も涼しかろ    禅智
 今日は早朝会議の日であり、5時起床である。すぐに「お時さん」のブログにアクセスした。美松坂の記録がアップされていた。もう登れないと思うと余計に懐かしくなる。
 花の写真もあったので、さっそく記憶と図鑑を片手に調べコメントした。
 帰宅後確認すると1つ間違っていたようだ。
 6時20分に自宅を出る。早く代わってもらいたいものだ。空は雲一つない快晴であった。気温も上がっている。何とか汗をかかないで着きたいものだ。いつものように日陰を選んで歩く。電柱の陰に沿って顔が出ないように歩いたら、車道の中央に出てしまった。
 建物の影が長くなっていてラッキーと思ったが、自分の影も長くなっているので、顔が出てしまう。そこで、遠回りにはなるけれど、建物に沿ってカクカクと曲がって歩いた。
 まあ、これくらいの余裕は欲しいものだ。
 いつものキジのポイントには生物の気配は感じられなかったが、オナガが3羽電線に止まっていたので、撮影する。


 7時40分にいつもの「ウイさん」がやって来た。今日は早くお出ました。
 ああ、今日も朝から胸がウイ! しかし、薬は飲まなかった。
 やはり、もう引退勧告を体が発しているようだ。このメッセージを見落とすと飛んでもないことになりそうな予感がする。
 先日、ゴウトさんからきれいな石をいただいた。自分はずっと「メノウ」と記憶しており、他の方にもそのように伝えていたが、「ヒスイ」の誤りであった。
 久しぶりに、経済新聞を見る。面白いコラムがあったので、少し抜粋する。
スローライフへの入り口の一つに「歩く」ということがあるそうです」
「目的なく歩きまわる徘徊とは、基本的に散歩であり、自由な精神の行為なのです。」
「なんと、ともに人間の自由な精神と季節との出合いを本質とすることから、「徘徊」という一見ネガティブな行為は「俳諧」という風雅の世界に転じてしまうのです。歩き回って季節を感じる力という点において、徘徊力とは俳諧力なのです」
「徘徊は人生に「ゆとり」を生み出しています」
「俳句に季語があるように、人生にも春夏秋冬のさまざまな想い出のステージがあります。俳句はそれらに潤いを与えてくれます。さらには、辞世の句というものが「死ぬ覚悟」さえも与えてくれる。俳句ほど、すごいものはないのです。日本人なら、辞世の句の一つも残して旅立ってゆきたいものです。」