稲の香

■稲の香
◎稲の香に夢多かりし幼き日  禅智
 朝は雨上がりの朝である。涼しくていい。水滴が面白かった。

 田んぼによっては、黄金色の稲が実っている。実るほど頭(こうべ)を垂(た)れる稲穂かな、という句が思い出される。(違っているかな?)
 その横を通り過ぎると、稲の匂いが香しい。母親の実家が農家だったので、幼いころ田植えや刈取りの時期に遊びに行った。この匂いは刈取りの時の匂いであった。
 あの頃は、夢がたくさんあったと思う。まもなく、父親が病死し、将来を悲観しながらも一貫校に入学し、そこでも2回ほど大きな挫折を味わい、社会に出てからも何かに向かって生きてきたと思う。
 このころは、そういう熱い思いは無くなったようだ。これが丸くなったということか。
 これからは、社会の片隅でひっそりと人生を閉じていけたらと思う。
 オナガが一羽近くて見ると大きい。すぐに飛び立ってしまった。

 今日の句には季語がない。季語など、どうでもいいと思っている。

■「愛書狂」(G・フローベルほか、平凡社、2014年)を読む。
 珍しい本のためには、全財産を投げ打つという。挿絵があり理解できた。一抱えもある大きな本が出てくる。
「ひとたび愛書家になれば、永久に愛書病患者としてとどまる以外にない」
「愛書家はビブリオマニアという。」
「自由と、花と、書物と、そして月があれば、誰とても完全な幸せに浸らずにはおれようか。」(オスカー・ワイルド