立山山麓

立山山麓
 近くに用事があったので、野鳥を期待して立山山麓へ行ったがカラスとセキレイのみであった。
もう、積雪もありそろそろウインターシーズン突入である。



 家人が市民農園で野菜つくり講座を受講しているので、収穫した野菜が安く買える。今の時期はネギである。ゴミフクロ2袋分で、100本近くあったのではなかろうか、これで500円である。また、大根や白菜もある。これを主に食べつくすのが私である。ネギは、チマチマと薬味のように使っていては腐ってしまうので、先日ネギの周りに豚バラ肉を巻いて焼いたら、受けに受けた。これを食べるときに珍事が起こった。
 丸ごと口の中に入れて噛むと、ネギの中央部が押し出され鉄砲のようにチュルッと飛び出してしまった。ちょうど、真ん中を噛めばいいが、そう上手くいくものではない。結局3つを無駄にしてしまった。
 それでも、たくさんあるので、続いてはフライである。この場合は、端面にも衣が付いているので、飛び出すことはなかった。
 鍋にも大量に入っているが、まだまだたくさんある。自分では料理できない(しない)癖に腐る前に食べつくすのが当面の目的になった。

 今日の自分の財布からの出費はゼロ円であった。

■「通勤ウォーキングでいこう」(内藤憲吾著、洋泉社、2004年)を読む。
「人間はいくら運動をして体力作りに努めていても、運動をやめて二週間もすると、すぐ体力は衰えはじめ、たちまちのうちに運動をはじめる前の状態にもどってしまう」
「スポーツは激しいものでなくては効果がないという固定観念〜歩いてみると、意外に運動になる〜」
「激しい労働の前後にすぐ食事をするのは体によくない」
「〜普通の速さで長い時間歩くことが、一番理にかなった歩き方〜」
「〜時間さえあるならば、走るよりも歩いたほうが運動としては優れている〜」
「朝は朝食抜きで歩く」
「むかし日本人は一日二食だったという」
「〜地下足袋は日本が生んだ偉大な発明品である」
「便利な生活の中で元気に生き抜く処方箋は、逆にわざと不便な生活をすることだろう」
「不便な生活とは、車を持たないことだった。〜運転しているとそれ以外のことは何もできないので〜膨大な時間を無駄にしている〜」
「便利な社会とは不便な社会の別名である」
「スロー・イズ・ビューティフル」
「ビンボーは決して悪い事ではない」
シンプルライフとはお金を使わない生活なのだ」
「〜お金が必要なことは、お金があるときはできるけれど、ないときはできない」
「体と心は一体である」
「流れ腐らず」
「歩くことは座禅と同じような効果をもたらす」
「古来、禅には『座り禅』と『歩き禅』があった」
「歩く書斎」