12月の梅

■12月の梅
◎師走時うめえぐあいにフライング  禅智
 先ごろから、知人のりんごの里からさんのブログに梅が咲いたとアップされていた。そして、今朝の新聞には中央植物園でも梅が開花したと報じていた。気温が上がったための狂い咲となっていた。
 こんなことはめったにないので見に行かなければならないと考えたが、無料で梅の木が見れるところとして、高志の国文学館しか知らず、ここへ行った。

 見ながらウグイスが来ないかと粘ったが、鳥は一羽も鳴いておらず空振り。ここで一句ひねろうかと思ったが、梅は春の季語である。菅原道真飛梅のように洒落る訳にはいかず、これはダジャレるに限ると詠んだものだ。ちなみに、飛梅の和歌は以下のようである。昔はそらんじていたのだが、少し忘れていたのでネットで調べたものだ。
「東風吹かば 臭ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」 

 今日こそは、海岸へ行くぞと4時半に目覚める。CNNニュースを3時間ほど聞いて朝食を取りくつろいでいると10時を回ってしまい、またしても計画変更である。
 呉羽山の県道より北側(呉仁館方面)を歩いて来た。途中神通川ものぞく。
 呉羽山では、樹木の上が一様に切ってあった。なんか目的があるのだろうが、複雑な気持ちになった。

ヤマガラ

②シジュカラ。

コゲラ。(図鑑更新)

ヒヨドリ

⑤シメ。

⑥カワイアイサ。ツガイで撮れたので図鑑更新。


■「定年思い立ったら吉日」(北島あきら著、文芸社、2001年)を読む。
 なかなかいい話であった。漢詩に秀でているので教養が身に着く。
「サラリーマンとして仕事を終えた今、貴重な余暇時間を有効に使って、出版に臨むこのときこそが、私のベストタイムといえる。」
「定年になったとき、図書館に来て思いを綴ろう」
「威張っていた人が定年になった途端、痴呆になり、“あああ”と言っている。」
「最近、夢を見ることが多くなった。」
「長い旅も終わりに近づいたとき、振り返れば、余りにも短い日々の旅として、嘆き悲しむのである。それは、旅が終わったとき、再び旅が出来ないことを悟るからであろう。」
「初孫を抱いた気分は、わが子以上の嬉しさと満足感があった。」
「〜仕事をしないでボーッとしていては体が駄目になる〜」
「〜還暦は、何時の日か過ぎてしまったが、日頃はその意識はなく、その言葉自体も忘れている」
「運は何時までも続くことはない、必ず崩れることがある」
「成功不成功、生死、栄枯盛衰など人の運は天命にある。
 どれだけ努力しても、限界がある。しかし何もしないで運を待つだけでは良運はやって来ることはない。〜努力してこそ、運が向いてくるのである。」