GO

■GO
 自分はスマホが登場したときに、その機能の拡張性から絶対に持たないと決めた。乗せられてたまるか!という気持ちである。いまでも、ガラ携ではあるが、メールマガジンの音でも閉口しているくらいである。静かな世の中がいいなあ。 
 また、失業中であり暇を持て余していると見る向きもあろうが、持っていても残念ながらスマホゲームをやるほど暇ではない。最近、ポケモンGOというのが流行っているそうである。
 ポケモンといえば、上の子がピカチュウ、カイユウ、ヤドラー〜〜〜クサイハナ、と全部覚えてしまったことを思い出す。こいつは将来大物だぞと考えていたが、親の欲目であった。
 また、東京出張の時には日本橋にある(今のあるかな?)ポケモンセンターへ行って、地方では売っていないレアなお土産を買ってきたこともある。
 いろいろ、事故も起きているとかであるが、自業自得の世界であろう。もらい事故も報道されているが、運が悪いと思わなければならないのか。
 我々の世代で「GO」といえば、ポケモンではなく「サンダーバード」である。先ごろ何気なく眺めていたらテレビに今風の進化しかサンダーバードをやっていた。人形ではなく、アニメでもない。なんていうのか学がないので分からない。嬉しかったのは、「ファ〜イブ、フォー、スリー、ツー、ワン サンダーバーズ アー ゴー」とおなじみが流される。
 今日は、雨で図書館ごもりと考えていたが、家人を送っていくことになり、パソコンを抱え、スタバで作業である。400円ほど出費であった。しかし、はかどったね。
 遠くの田んぼに「小さなコサギ」がいる。こういう表現は正しいのだろうか。小さなダイサギ、大きな小鳥と日本語は難しい。

■「謎オチ噺」(鎌田善和著、文芸社、2011年)を読む。
 少し長かったね。
「〜人間てえのはもっともっと大きな存在で、決して一面だけでは表現してはけないもの〜」