庭仕事

■庭仕事

 昨日までの雨とは打って変わり、秋晴れのいい日である。こんな日は依頼を受けている庭仕事をするに限る。今年初めての先であるので、今日は段取り中心に考えていた。

 規模は、呉羽のお客さんと同じくらいで、そこは二人で2.5日かかっていた。今回は一人なので、5日はかかるとして、6時間稼働にしているので、30時間で仕上げる予定である。

 一番気がかりなのは、クロマツの先端まで手が届くかである。幸い、脚立やハシゴが3種類もあり一番長いハシゴで届くことが分かった。次に、いちばん上の枝全体に手が届くかである。これは、剪定しなければ確認できないので、基本通りに行うが、やはり道路側は手が届かない。ハシゴを移動させてなんとか出来た。最後に、微調整することにした。これだけで、2時間以上かかっている。昼になったので、今日はこれで終えることにした。

 帰宅後、シャワーを浴びてゆっくりしたかったのであるが、今日は公園に木の実を拾いに行く予定である。落下して日がたつと芽を出そうとして土に入ってしまう。

 さて、13時を回っているが、昼はどうするか?毎日のことなので面倒である。世のお母さん方のご苦労が分かる。ファミレスに向かった。しかし、13時を回っているにもかかわらず、駐車場は満杯であった。そのまま出口まで出て、うろうろと物色しながら走っていたら、気になる専門店があったので、ここに入る。

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 初めて入ったのでどれを頼めばいいかわからない。こういう場合は、メニューの一番最初の品にすれば外れは少ない。注文時にご飯大盛りも無料と言われたので、つい条件反射でお願いしますと言ってしまった。自分のお腹を見てそう言っているのかと思ったら、隣の方にも同じように話していたので、マニュアルだと安心した。

 この店のいいところは、キムチとダイコンの漬物がテーブルに付いていることである。ご飯が残ってしまったが、キムチのおかげで平らげることが出来た。 

 木の実は思ったより少なかったが、今回のイベントには間に合うだろう。

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 何の実かは一目瞭然である。ある山歩きの団体は、フォレスト協会よりお願い文章が出れば、山歩きの途中の実を拾って来て上げるという。試しに、コナラとミズナラの違いを問うとマトモナ答えが返って来ないので、丁重にお断りしたことがある。実は、これに応えたら、ミズナラとナラガシワの違いを問うて、これに応えることが出来れば頼んでもいいと考えていたのだがなあ。

■「神仏の森は消えるのか」(渡辺弘之著、ナカニシヤ出版、2019年)を読む。

「今、私に命があるのも、神仏・先祖のおかげ」

「何ごとの在(ま)しますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」(西行法師)

「~神社の場合は“お参り”、寺院には“お詣り”を使う。」

「カミ(神)はまず山や岩に降臨された。そこを森が守った。」

「~建物を建てるときには四方にマダケを立て、注連縄(しめなわ)を張りそれに紙垂(しで)を挟む。」

「~“森”の語源は“盛る”、“林”の語源は“人が生やした”ものとされている。この解釈は一般的で、自然に成立したものが森、人が植えたところが林ということである。」

「~柴刈りは“芝刈り”ではない、薪拾い、薪とりのことである。」