ウグイス

■ウグイス
 今日は金曜日でスーパーで冷凍食品6割引の日であり、家人が休みでもある。こういう日は、ゆっくり寝かせてあげようと早朝5時半に自宅を出る。近所の方が草むしりをしていた。
 狙いはウグイスである。近くの中学校の近くに巣があるようで毎朝近くで啼いている。公園まで行ったが出会えず。造園学校のS先生が走っておられ、遠くから挨拶される。仕方なく、朝マックドにする。朝食後に薬を飲まなければならず、水も頼む。
 帰りも同じ道を帰るが、ウグイスの声が聞こえる。声の方に向かう。
 街中のウグイスは木の上も居るようだ。(図鑑登録)

 別の木にも止まっている。モズのようだ。しかし、何か違う。


 目の周りの黒い線が見えず、腹の色も白い。クチバシは先端が曲がっているのでモズと判断したが、自信なし。
 帰宅後、スーパー回りである。運転手と荷物持ちに徹する。チラシが入っており、スーパー3か所で各々かご一杯買っては、自宅へ戻り、別のスーパーということ繰り返す。金融機関も2か所ですぐに昼近くになる。
 900ccのボトルコーヒーは安売りでも85円ほどであるが、昨日は55円であり、4本買ってある。今日は、お菓子が半額で一袋100円であった。いつも、間食は駄目だと言われており、一袋だけつまんだが、家人が4袋抱えていた。
 冷房の効いた居間で昼寝をして、夕方近くに図書館へ向かう。しかし、西の空に雨雲が迫っており、いそいそと帰る。
 最近、数時間後の天気予報をスマホやらで確認するようであるが、自分には理解できない。観天望気という言葉は死語になってしまうのであろうか。IT機器に頼った生活では人間の機能が退化するのではないか。認知症が早まりそうな気がする。昔、”書を捨て町に出よう”と言った人が居たが、え〜と、誰だったかな?ほら、あれ、あの有名な人だ。この間亡くなられた人だ。確か、寺山修二さんではなかったかね。これをもじって”老人よスマホを捨て町へ出よう”と言いたい。自分はスマホはあまり用がないにもかかわらず、すでに進行中のようだ。

■「人間晩年図巻1995−99年」(関川夏央著、岩波書店、2016年)を読む。
「現地を体験していないからこそリアルというパラドクスが、ここにある。」
「悪いのは子供ではない。悪いのは教材であり、指導法であり、指導者なのだ。」
「教育において大切なのは、何を教えるかではなく、何を教えないかだ。」
「早くピークに達し、早く衰えるのである。」
「民主主義の基本は妥協だ」
「生きることは恥ずかしいことです」
「天才たちは遠くからお互いを尊敬しあっても、ともに仕事は出来ないのである。」
「身寄りも無く他に失うものは自らしかないような孤独に老いた男にとって、あの久し振りの天変地異は通り魔のように彼を引き裂き、死に向かって誘い追い落としたに違いない。」