修理

■修理
 今日も気温の低い日であった。家人を職場に送ってから朝食である。
 とろろいもが出ていたが、今朝はパンにしたので使わなかった。その時、思い出したことがあった。昔、料亭だったか、割烹だったか忘れたが、とろろいもをお好み焼きのように焼いた品が出され大変美味しかったことを覚えていた。
 そこで、とろろいもに出汁を入れてからフライパンで焼くことにした。
 柔らかいのでひっくり返すのが大変であったが、いつものポンでひっくり返せた。

 こんがりと焼き目が付いて、たちまちに平らげてしまった。
 そして、三番目をバイト先まで送って行ってから今日の予定であるスノーシューの修理がある。
 先日、足慣らしで吉峰山に行ったが、途中で足が抜けてしまうことがよくあった。調べて見ると、バンドが切れていることが分かった。

 昔だったら、店に持って行って修理依頼をしてシャンシャンであったが、今の経済状態ではそうはできない。加藤文太郎のような昔の登山家の本を読むと、登山用具は自分で製作したり、修繕したりしている場面が出てくる。ここは、やはり自分で直さなければならないだろう。
 ハリガネで補強することにしたが、ペンチの在処が分からない。工具箱に入っていると思ったがラジオペンチの方であった。実家の方に置いてあった。次に、ハリガネであるが、確か学校からもらってきたはずと造園用具のところを確認したが、無い。
 どこへ仕舞ったかも忘れてしまった。今回は、輪ゴムで補強しておいたが、直ぐに外れるだろう。
 思いのほか時間がかかった。大半は探す時間であったが・・・・・。どこかでハリガネを調達して来なければならない。
 昼になったので、スーパー銭湯に向かう。自宅からアクセルを一回踏んで通りまで出て、通りからアクセルを一回踏んで信号まで行き、信号からアクセルを一回踏んで銭湯である。
 まずは、昼食である。今週はカレーウドンであった。会員価格で400円代と少し高めであったが、頼んだ。

 先週の低周波マッサージ風呂を4セット行う。流石に4回目は嫌になってしまった。こんなものは、毎日少しづつやるのがいいのだろう。まだ、お腹に違和感が伴っている。
 かぶらずしを作るために安いかぶらを探していたが、家人の実家からダイコンに混じってかぶらが数個入っていた。ありがたい。家人に許可をもらい明日以降3回目に挑戦である。

■「悩むなら、旅に出よ。」(伊集院 静著、小学館、2017年)を読む。
「〜苦難を前にしても自身に情熱がたぎっていれば障害など何ともないらしい。」
「旅は読書と似ている」
「〜人間形成に旅はかなり上質な授業だ〜」
「歴史を学ぶことは自分を学ぶことです」
「人間が何かを読むという行為には、好奇、向学という人間の特性があらわれている。」
「ダンスを体得しておけば何かの折に役立つ」
「現代人は何もかも知ろうとして、日々の情報に目をむけるが、大切なものはそういうものの中にはない〜」
「美しいものは、その作品の前に立ち、ただ鑑賞すればいい。」
「読書や人の話、講義などで学んだものも多いが、やはり机上で得るものには限界がある。」
「エベレストの頂上は、歩いて行ける宇宙です」(三浦雄一郎
「スズランの花言葉は“幸福が訪れる”」