■山菜Ⅱ
くさのさんとの会話で、先月まだ小さなウワバミソウが大きくなっているのではないかと話題になった。毎年、昆布締めにしてマヨネーズに一味を掛け醤油で食べている。
様子を見がてら、大きくなっていたら採取しようと決まった。
自分は病気療養中のため、道路脇しか採取できない。それもまとまって成っていた方が楽である。
いつもの場所では充分大きくなっていた。少し採取すると時間はたっぷりとあるので、探検する。すると、群生地が見つかった。
初めての場所であったが、充分採取することが出来た。
続いてランチである。くさのさんが家族で行かれた天ぷら屋さんのサービス券を2枚持参されており、そこした。
ご飯は、羽釜のかまど炊き、揚げたての天ぷらが届いた。実は、この店の売りというか特徴は、めんたいこが食べ放題ということである。ツボ型容器にいっぱい入っているのを二人で平らげた。説明ではお代わり可能となっているが、なんだか良心が痛むのでやめた。
食後は、コーヒーを飲みながら精算と団らんをして別れる。
帰宅後は、ウワバミソウを処理する。
昆布締めは2セットできた。
すぐにプレスしたので、3日後には食べられるだろうとみている。
いつものように、16等分にして冷蔵庫で保存し、日々おかずの一品にしている。
■「それでもこの世は悪くなかった」(佐藤愛子著、文藝春秋、2017年)を読む。
「~私の人生は戦いの連続でした。」
「人は好きなように生きればいい~」
「~人生にムダというものは何もないですよ。」
「嫌なことはしなくていい」
「儲かったなんて言うもんじゃない。それは卑しい人間のいうことだ」
「感情でものごとを決めるから、何でも自分が正しいと思っているところがある~」
「逃げたら苦しくなる。」
「~会社が倒産した人間というのは、表に出られないんですよ。」
「正々堂々でない自由というのは、私には考えられないことです。」
「人間は自分のしたことの責任は自分で取るものですよ」
「このマイナスがプラスになる時が必ず来るから~」
「~向こうは人間の真実なんかわかるわけがない、ただのアホなんだ~」
「~勘定知らずというものもね、一つの才能なんですよ。」
「なんだかだんだん、わけの分からない時代になってきました。」
「できないことをなぜ言うんだろうと~」
「長生きなんかしてもボケる一方で、たいしたことではないと私は思っています。」
「豊かで便利はあるのは当たり前、満ち足りていることが当たり前、少しでも気に障ることがあると我慢できない。」
「~文句があれば何であれどんどん言うこと、それを自由である、幸福であると考えているとすれば、ちょっと違うんじゃないかな~」
「とにかく人に頼むことが嫌いなんですよ~」
「まるで文句をいうことが知的であるとでも思っているみたいに。」
「文明の進歩というのは、私たちを果たして幸福にしているのだろうか~」
「~苦労したってどうということはない。反対に、幸福になったと言って、別にどいうということはない。」