ハワイアン

■ハワイアン

 朝起きたら軽い筋肉痛がある。やはり慣れないことはやれないなあ。天気が良かったので山へ行こうと考えていたが、日曜日で混むことと気温が高くなると予報されているのでやめることにした。

 昨日のウワバミソウは大量に未処理分が出たので、日頃お世話になっている方に全量差し上げることにした。

 少し遅れて、セカンドオフィスに向かう。日曜日は7時30分開店なので、6時半過ぎに出れば間に合う。休日の早朝は空いていて気持ちがいいね。

 道端に、これはビヨウヤナギではないか、が咲き出した。

 セカンドオフィスでは、やはり居眠りが多かったね。新聞のお悔やみ欄では、11人の方が掲載されていて、そのうち、5人は60代以下であった。何が人生百年だと思った。

 いつもの帰宅コースを通ると、催し物をやっていた。ハワイアンバンドが演奏している。これを聞くと思い出すことがある。学生時代にビアガーデンでアルバイトをしていた時のことである。自分は大ジョッキを10個持てたのでリスペクトされていた。まさに握力の成果である。思い出すのはそっちではなく、閉店後、余った食材を調理場まで運ばせる担当になったことにある。もう、お腹がペコペコでエレベータの中で少しつまみ食いをしていた。おそらく、全量廃棄されると考えていた。ホテルの方も既にお見通しといった感じであった。酢豚が美味しかったね。

 久し振りのハワイアンを最後まで椅子に座って聞いており、頭の中は50年前を旅していたようだ。

 少し遅くなったが、昼食である。今日はラーメンに日である。暑かったので、冷やし中華と考えていたが、気まぐれでカレーラーメンにした。カレー粉が余っており、自宅の調理で使われることはない。そうなると、廃棄になってしまうので、なんとか生かせないかと試作した。このカレー粉は1kg300円代であり、これだけでは物足りないように作られている。まあ、ベースといったところか。これまで試してきて、辛味が足りないことは分かっていたので、今日は豆板醤を大量に入れて見た。スープも野菜を煮だして使った。果たして、食えるか?

 大いに違和感がある味になったが、食べることは出来た。しかし、次回はないなあ。辛さが違うのである。だからといって、専用のスパイスなど買わない。ビンが増えるだけである。まあ、妥協点として一味だろうか。

 スープには、三つ葉を散らした。

 少し昼寝をしてから、布団を取り込み、公園を歩く。花はだいぶ終わっていた。木陰は涼しいね。いつもは、2周するところであるが、やはり疲労を感じたので、1周と少しで帰宅する。

 帰宅後、ナイフを砥ぐ。しかし、あまり上手く砥げないね。途中でやめて、フォレストの準備作業を行う。

 一日が終わって見たら、いつもの日常であった。これは、大事だと考えている。

■「人間の使命」(曽野綾子著、海竜社、2021年)を読む。(その3)

「今の日本は世界一、格差の少ない、食べられない人のいない国である。」

「~最近の日本人は、ひどい精神状態だ~」

「彼らは他人と世間の評判を最大の目標にして生き~評判がほしい。」

「世界中が民主主義の原則を忘れて、人道主義者の評判ばかりほしがる病気に感染している。」

「~病気になったら死ぬと覚悟している。」

「小説は、人を見かけで判断すると、とんでもないおかしな間違いをしでかす、という話ばかり書く世界なのだ。」

「怠け者は一日中、ごろごろ寝そべって本を読んでいた。」

「暇は、暇だから価値を生めたのだ。」

「自由とはしたいことをすることではない。人間としてすべきことをするのが自由です。」

「必ず休め」

「日本人の暮らしはどうも忙し過ぎる。忙し過ぎるから利己的になる。」

「年を取って~ますますできることの限界を感じている。」

「だからすべての人が、その生活と存在を通して私の教師だった。」

「~読書三昧の幸福な入院生活~」

「この世を去る時が来ました。わたしは、良い戦いを戦い、走るべき道程を走り終え、信仰を守り抜きました」

「時間しか癒すものはありません。」

「人は、その命を捧げた仕事しかほんものではなかったんですね」