もらいもの

■「遺言川柳」(三菱東京UFJ銀行、幻冬舎、2006年)を読む。
 こういう本ばかりが目につく年齢になったのだ。川柳には興味があり作句して見たい衝動にかられることがある。葉書で投稿することもできる。なぜ、俳句ではなく川柳かと自問したところ、季語を知らないからだという結論に至った。歳時記でも買っておけばいいものを、そうすれば日々豊かに暮らせるようになるだろうと悔やんでいる。

■もらいもの
 休み中に旅行された方からお菓子ももらった。何種類もあったが最中を選んだ。何か変だと思ったら、皮と餡が別々になっている。かろうじて餡を入れて食べた。サクッサクッとしていい感触であった。
 トランプをもらった。先日剱岳のトランプをもらったばかりだが、今度は立山曼陀羅のトランプである。なんか、縁をかんじるなあ。
 もらいたくないのが、インフルエンザである。予防注射は済ましているがそれでも感染するという話である。
 基本的はもらうのは抵抗がない。「私のリュックにはまだ若干の余裕がございます。」というギャグを笑点でやっていたのを思い出した。
 しかし、痛い目にもあっているので、欲しがらないようにしよう。