炭酸泉

■炭酸泉
 7時、通学前の起床時刻になる。今日は一日中図書館にこもっていろいろやりたいことがあった。天気がいいので、パソコンを下げて歩いて向かう。
 休館日であった。そこで、予定を変更してスーパー銭湯に向かう。
 昼過ぎの銭湯は空いていて気持がいいね。露天風呂もサウナも嫌というほど入る。
 でも、一番良かったのは炭酸泉である。屋外にあり、湯温も低めのため、どれだけでも入っておれる。眠ってしまいそうになる。皮膚に付いた泡一つひとつがお疲れさまと言っているようだった。やはり、身体に効いているのか、ぐっすり眠れたようだ。

■「薬石としての本たち」(南木佳士著、文藝春秋、2015年)を読む。
「よい小説を書くにはどうしたらいいのでしょうか」「まじめに生きることです」
「その場かぎりの思い付きを述べるのだけは絶対にやらない。推敲を重ねたことばを用いたい。」
「基礎を学び〜疑問点を見つけたらまた基礎にもどる。」
「〜豊富な語彙を駆使した描写〜」
「疲れているのだな。」「こういうときは山へ行くにかぎるな。」
「隠れて、生きよ。」
「明日を最も必要としない者が、最も快く明日に立ち向かう。」
「死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、じつはわれわれにとって何物でもないのである。なぜかといえば、われわれが存在するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。」
「脳は自然を嫌う。」
「精神を病むということは、からだの生存に必要なエネルギーの保持のみが可能で、他者に向けての面相を整える余力がなくなってしまう事態なのかもしれない。」
「けっして無理せず、がんばらない」
マンネリズムは思想ではない。技術である。」
「〜運動で爽快な気分になるのは、心臓から血液がさかんに送り出され、脳がベストの状態になるからなのだ。」