山菜の日

■山菜の日

 昨日は別件でくさのさんとやり取りしており、自分が暇!ということがきっかけであった。別に、山菜の日を決めているわけでもないし。決められるモノでもないであろう。

 まあ、山へ行って山菜を採り処理して食しようという日である。

 くさのさんにピックアップして頂いて少し遠くの山へ行く。

 まずは、ワラビである。細いのは採らない。

 まだ、カタクリが咲いているので標高の高さがうかがい知れよう。

 場所を変えて、少し傾斜の道を歩く。

 ヨシナとノビルを採る。

 市内へ戻ってランチである。くさのさんは3箇所も候補を見つけていただいていた。そこで、帰り道に近い店を訪ねると、夜営業のみであった。割烹である。

 気を取り直して2番目の店を訪ねると、3日、4日は臨時休業の貼り紙である。

 なら、ファミレスにしようと車を走らせたが、最近新しく出来た定食屋さんに目が止まり入店する。小鉢があって嬉しかったね。これに、ミニうどんも付けた。

 清算と打ち合わせのためにマックドに入る。今日も途中から意識が無かった。家族が旅行へ行くというので朝5時に起こしたため、寝不足であった。少し前までは、お腹のボタンは締まらなかった。今は、なんとか締まっている。

 帰宅後、山菜の処理である。先ずはヨシナの葉を取ることから始める。

 次いで、ノビルの洗浄である。

 葉の部分は小口切りにして薬味として使うが、球根部分は決めていない。

 ヨシナは昆布締めである。

 ワラビは、アク抜きをして明日5cmほどに切る。サラダ感覚で食べる予定である。

 毎年恒例になった山菜の日である。来年の下見を行って来たので、来年も楽しみである。

■「70歳からの価齢なる人生の楽しみ方」(ナポレオンズボナ植木著、イースト・プレス、2022年)を読む。(その1)

「周到に準備する 先を予測する 周りに気を配る 健康に留意する」

「しかし、歳を重ねることで人間の知恵が劣化するわけではありません。」

「齢を重ねることには価値がある~」

「ワン・アヘッドーーーつまり一歩先行く~」

「メールの返事はすぐしない」

「ワン・ビハインド・システム~」

「さて、価齢なる生活の中で“日記”は非常に重要です。」

「“クラウド”というものがあります。~果たしてそれは安全なのでしょうか?」

「~“乗る必要のない電車”には乗り遅れることはないのです。」

「オレはもう携帯電話持つのを止めたよ」

「~必ず曜日を入れるということです。」

「喧嘩は“時間とエネルギーの無駄”なのです。」

「威張り散らす奴に限って人間は小さいです。」

「齢をとったら義理は欠いてもいいと思います。」

「こうして人間関係をトリミングすることによって、気持ちが楽になり、自分のことがもっと見えるようになります。」

「適度な緊張は身体にいいに決まっています。」