春雨

■春雨

 今利用している天気予報は、ころころと予報が変わる。いいのか悪いのか判断はつかない。半日前では今日の午前中は曇り予報であったが、先ほど雨予報に変る。まあ、どうせ車が使えないのだから同じことではある。

 朝は自然に目覚めた。そうして、朝食を作りに階下へ降りると、家人が準備をしている。今日は休みのはずである。聞くと、子供が出勤するとのことであった。再び、二階の自分の部屋へ戻り、二度寝する。なかなか眠れないので、昨日の見逃し配信を視聴する。最近、教育番組を見ることが多くなった。前は、自然系の番組であったが、主役の座を奪われたようだ。

 車の出る音が聞えたので、階下へ降りて朝食を作り、食べる。外は雨である。そんなに強くはないが、♪♪春雨じゃ 濡れて行こう~とはならない。

 雨なら、少しやることがある。額のフック作りである。今日で終わる。なかなか満足の行く出来であった。これで、外れることはない。しばらく、居間でなご成っていると、家人より子供たちがいるので、外へ行った方がいいとアドバイスを受ける。

 傘を差して出かける。こういう日は、躊躇せずバスを利用する。セカンドオフィスは駅前になる。割と空いていたね。

 2時間ほど過ごし、電車で帰るが、少し時間があるので、取り壊されるというビルの中を見物する。驚いたね、フードコートのような作りに変わっている。値段は、冗談のような価格である。

 電車で帰宅する。途中スーパーへ寄ってダイコンを3本購入する。今日は、ベッタラ漬けの下漬けを行うことにしていた。

 帰宅後は、昼食である。今日はスパゲッティの日である。寒いのでトマトニンニクにする積りでいたが、面倒になったのとイカやノビルが残っているので、簡単なケチャップ和えにした。ヨシナの昆布締めが最後になった。今日は一切れだけになった。その分はワラビを多くした。

 今日も満足の行く昼食になった。

 そして、毎週日曜日の恒例のテレビである。家族が戻ってきたので、自分の部屋で視聴するも知らない間に眠ってしまった。これでは、今日も見逃し配信に頼らなければならないかもしれない。

 霧のような雨が降っている。予報では夕方近くに降水量が増えるというので、出るのを止めようとしたが、車が空いていたので第二部のセカンドオフィスに来ている。

 もう帰ろうとした時であった。名前で呼び止められる。前の会社のKさんであった。子供と一緒に来ていた。この店は、懐かしい人と会う確率が高いね。

 帰宅後、ベッタラ漬けの下漬けである。

■「生きるとか死ぬとか父親とか」(ジェーン・スー著、新潮社、2018年)を読む。(その2)

「戦争の痛手から立ち直る起爆剤は、次の戦争だったのか。」

「~寝るにも体力がいる~」

「燃えてきたわ、私たちは決してあきらめないし、決して屈しない」

「心穏やかな老後を送っていらっしゃることが一目見てわかった。」

「世間が自分にジャストフィットするように作られているのが当然と勘違いし、テンポの異なる人々を態度で排斥する。」

「~七十歳を過ぎてからアレルギーになる人なんていませんよ。」

「~なかなか癌を患えない。」

「金はある奴が払う。」

「~タダ働きをさせられたことはない。」

「人の足は、自力で歩くことを前提にデザインされている。」

「風邪を引いたら即病院」

「私は無力だ。」