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■地震
1月1日 16時ごろ、■■■でコーヒーを飲んでいる時、地震が起きた。
記憶の範囲ては、最大である。
富山県は、あまり地震がない。そのため、地震に対する免疫が小さいのではなかろうか。
都市伝説で立山が守ってくれているというのがあるが、海の方からなので無力だったか。
若いころ住んでいた東京では、震度1や2程度は、よく発生していた。
直ぐに止むだろうと考えている人達が大半があったが、止む気配がなくテーブルの下に潜る人達が現れた。
自分の頭の中では、落下物によって頭がやられるのを避けるためにテーブルの下に潜るということは、理解していた。
しかし、椅子から立ち上がれない。理屈で分かっていても行動出来ないのである。
よく頑丈な建物に移動せよとか、頭を守れとか放送されているが、動けないのである。
じっと、上を向いて落ちて来そうなモノを想定する。天井ぐらいである。
そして、天井のどの場所から亀裂が入るのか想定する。弱いのはつなぎ目であろう。
椅子に坐ったまま、考えていると、揺れがおさまった。長い揺れであった。
恐らく、災害で亡くなる方は、自分のように動けないからであろう。
例えであるが、もし自分が落下物によって死亡したとする。この時、もう5歩歩けばテーブルの下にモグれたはずとか、5mほど歩けば外へ出れたのに、なにしとったたんかねぇ。と、言う人がおれば、この記事上だけで、■■と呼びたい。
自分の考えは常に正しい、自分が出来ることは他の人も出来るはず、それを、やれないのは甲斐性がないからだなどと考えて、錯覚している輩ではないか。
テレビで専門家が言っていることは正しい。現に若い方たちは、テーブルの下に潜った。
しかし、自分のように立ち上がれない高齢者も存在するのである。
自宅の地震対策は、今思うと幼稚でお粗末であった。意識が無かった訳ではない。基礎は、ベタ基礎、一階は道路より1mほど高い位置にする。家具は、全て作り付けや壁収納にした程度である。また、非常持ち出しリュックも準備してない。電気は、太陽光発電なので日中は、停電時電源を確保出来る。電源のいらない石油ストーブが有るので、暖は取れるし、調理も出来る。
太陽光発電を設置したときは、オール電化を勧められたが、キッパリ断った。オールという言葉に自分の感性がノーを出したためだ。部分電化で灯油は、常時200Lほど有るので、ストーブは使える。
まあ、よく言えばリスク分散である。
水は、抜かっていた。ペットボトル3本分しかない。10年以上前に、防火用に雨水を溜めた20Lポリが16個ほど常備していたが、劣化が激しく廃棄した。
この地震を機会に、震災対策を真面目に取り組まなければならないと痛感している。
そして店からは、外へ出てくださいと案内があり、全員出たが半数ほどの方が車で帰られた。
自宅が心配で自分も半分以上コーヒーを残して帰路に着く。
家の中は何点か落下していた。
その後も繰り返し揺れが襲う。
緊急地震速報が何度も発せられた。
■■アナウンサーの聞いたこともないたたみかけるような呼びかけには、正直驚いた。もともと、金沢放送局に勤務されていたとのことで、力が入ったのであろう。
■「もうあかんわ日記」(岸田奈美著、ライツ社、2021年)を読む。(その1)
「~いままで見て見ぬフリをして、だましだましかわしていた問題が一気に噴出した。」
「人生は、ひとりで抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」
「悲劇は、他人ごとなら抜群におもしろい。」
「ユーモアがあれば、人間は絶望の底に落ちっこない。」
「たしかにしんどいけど、これはこれで、おもしろいよな」
「なんもできん。でも生きとる。」
「かかりつけ医に・・・・かかれない・・・・?」
「熱というのは、夜に上がることが多いらしい。」
「ほな、さいなら」
「人は無力をさとったとき、死に直面したときと同じくらいストレスを受けるそうだ。」
「いい想像の裏にはかならず、悪い想像がある。」
「~自分の心臓にしこたまお礼を言いたい。」
「故人のためではなく、きっと自分の未練や大悪感をなくすために。」
「トラブルとか挫折とか、不幸だなあと思う瞬間って悪くないかもしんない。あとから幸せを感じるための貯金と考えれば。」