裸眼

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■裸眼

 若いころ、眼鏡を掛けている高齢者が新聞などを読む時に、眼鏡を額まで上げているのを見ていた。

 この時は、老眼で眼鏡では近くは見にくいのだろうと推測していた。

 ところが、自分は今、同じことをやっている。

 もう、体中がガタガタになっているようだ。

 考えようによっては、良くぞここまで酷使したな!になる。

 裸眼は、近くの小さな文字を見る時に見る。ところが、普通に本を読む時にも裸眼にする。もちろん、だいぶ本を顔に近づけなければならない。

 これは、コーヒーショップの照明がいい具合に本の上に当たるから可能になっている。

 やはり、レンス越しに見る文字と裸眼で見る文字は、違って見える。

 しかし、あまりやらないようにしている。眼鏡を外すと、顔のむくみが目立つからである。

■「巻頭随筆 百年の百選」(文藝春秋編、文藝春秋、2023年)を途中まで読む。

「私の病気は治らないだろう。」

「その“幸せ”とは、人との出会い、めぐり会いの中にあるんじゃないか。」

 

新巻

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■新巻
 ああ、今年も忘れてしまった。と、毎年同じことを嘆いているようだ。
 新巻作りである。
 もう何年も前は作っていた。
 まずは、魚祭へ行くことから始まる。ここで、木箱に入っている生の塩シャケを買う。当時は、1500円ほどで買えた。帰宅後、塩出しして干せば出来上がる。干すと近所の野良猫が奇妙な声を出して見上げていたことを思い出した。
 これを、少しづつ切って食べるのであるが、美味しくはない。いっとき2本干したこともあったが、美味しくはないので、自然に作らなくなった。
 今思い返すと、どうも塩出しが不十分だったように思う。また、ネットで探せば作り方はあるだろう。
 東町の鱒の寿し屋さんのが美味しいので、ここのが最後だった。ちゃんと切ってくれ、箱に入れてくれる。親戚へのお歳暮として、何年間か使っていたが、もう店を仕舞われたようだ。
 よく、ニュースなどで魚屋さんの軒先にぶら下がっているのを取り上げるが、鱒の寿し屋の親父は、自然乾燥はムラになるので乾燥器による乾燥を勧めていたが、個人で対応できるレベルではない。
 来年こそは、作ろう。

■「息」(小池水音著、新潮社、2023年)を読む。(その2)

「実際には、夜の眠りが極端に浅くなり、寝不足と、呼吸の苦しさとがないまぜになって、日中の意識をぼんやりとさせていた。」

「ひとりで静かに過ごす時間を求めていた~」

「~この数週間でもっとも激しい発作が、わたしの呼吸をいびつにしていた。」

「けれど、終わるという感覚は、言葉がなくてもわかる。」

「酸素が足りないためか、わたしの意識はまるで幼いころへと戻っているみたいだった。」

「~新たに日々を立て直そうという前向きな意志は感じられなかった。」

「息を吸うのでも、吐くのでもなく、息が止まったその瞬間に感じたのは、経験したことのない安らかさだった。」

「~むしろ経過は緩やかに悪化をたどった。」

「しあわせでした」

「目が覚めたときに深呼吸をして、肺の底まで息が届いた~」

「深い眠りにつける日は、一年のうちでも数えるほどだった。」

「~日中のほとんどの時間を、近所を散歩して過ごしていた。」

「忘れたくない大切な景色を、すっかり思い出せなくなってしまうこと。」

「菌によって肺が炎症を起こし、組織が硬くなって、酸素を取り込みづらくなっているのだろう。」

「~手足は、はちきれそうなほどむくんでいた。」

 

注文しない

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■注文しない
 あるファーストフード店のこと。
 自分が行った時には、ほとんど見掛けるので、おそらく毎日来ていると思う。
 年齢は、自分より上に見える。いつも一所懸命作業をしている。しかし、テーブルの上には、店の商品は、ない。
 初めて見た時は、食べ終わって捨てて来たと思っていたが、ある時、自分とほぼ同じ時刻に入店したので、目で行動を追うと、注文カウンターの前から二階へ登り、作業し始めたではないか。
 自分は、きちんと150円のコーヒーを頼んでいる。
 おそらく店のスタッフも気づいているだろう。
 同じ話の中学生版にも遭遇した。この場合は、スタッフが何か頼めとさとし、おのおの買っていた。
 こんな身近に起るので、全国ではすごい数になろう。
 これで思い出したことがある。この店は、昔コーヒーのお代わりが無料であった。しかし、直ぐにやめてしまった。その理由が、宿泊場所代わりに使われるからとのこと。
 自分も熟睡しているので、そのうち追い出されるかも知れない。

■「息」(小池水音著、新潮社、2023年)を読む。(その1)

「血液にのって巡っている酸素を、わたしは大切にしなければならない。。」

「息をひとつ吸い、またひとつ吐くたびに、自分の命は静かにすり減っていっている。」

「立ち歩いたことで乱れた呼吸を、時間をかけてゆっくりと静めてゆく。」

「~日常的に猫が出入りする家に入ったならば、きっとほんの数分で呼吸困難になってしまうはずだった。」

「肺に空気が届くようになってもまだ、直前までの酸欠の余韻が抜けなかった。」

「トンネルは出口に向かうとは限らない。」

「酸素が減ると、ものを考える余裕が失われるのと同時に、感情もまた乏しくなった。」

「ミニターに表示される血中酸素濃度の数値は、少しずつ、しかし確実に下がっていった。」

「息ができて、仕事に取り組めさえすれば、それでいいじゃないか。」

「頓服薬は、いっとき楽にはしてくれるけれど、あなたを救ってくれるわけじゃないんですね。」

「~息を長くすることを意識してください」

「そのときにはもう、自分の呼吸が重くなっていることに、わたしは気がついていた。」

「息を吸える限界も、吐くことのできる限界も、ふだんの半分より少なくなっている。」

「雨上がりの芝生のようなみずみずしさが、口内から胸の奥にかけて広がっているのを、わたしはたしかめる。」

「それにしても、扉は信じられないほど重かった。」

「昼には毎日、うどんを食べる。」

 

ランチ240404

■ランチ240404

 朝食後、朝風呂に入って、コタツでうつらうつらしていると、知人のTさんからランチと喫茶のお誘いが入る。
 まだ9時前である。だが、早い連絡はありがたい。ダラダラした生活に張りが生まれる。
 自宅まで迎えに来て頂いた。
 今日のランチ場所は、髙岡市とのことで、出足が早い理由が分かった。
 知人のTさんとのランチでは、混雑を避ける目的で12時前に入店する。
 しかし、駐車場は、ほぼ満車で辛うじて停めることが出来た。
 この店は曜日毎の日替わりランチがあるので逆らわずに頼む。
 座って間もなく到着する。早い理由は、重箱にセットされているためであった。

 肉、野菜とバランスがいい。これで630円は、有り難かった。
 中でも一番驚いたのは、煮物が温かかったことである。
 量もちょうど良かった。

 さて、食後はコーヒーが定番である。いつもは、コーヒーショップやファーストフードが多いが、知人のTさんは、あらかじめ見つけてあった。
 国道を曲がり工業団地のようなところを走る。
 心の中では、こんなところにあるのかね、と半信半疑である。
 ここ、という知人のTさんの案内に従って店を見ると、見るからに高級レストランである。コーヒーは、500円を覚悟した。
 駐車場に停めて、途中足湯の場所を通って入る。

 何か、環水公園のスタバを彷彿とさせる。
 メニューを見て更に驚いた。コーヒーが130円とは、どいがよ。その他のフードも昭和の時代の価格である。
 ケーキセットを頼んだがワンコインであった。

 室内からの庭の眺めも良かったね。
 世間話で大いに笑い合い、束の間の和んだひとときであった。

 知人のTさんは、ご家族でも来たいと話されていた。
 今日も楽しい一日になった。

 ブロッコリーに花が咲いた。

■「入り江の幻影」(辺見 庸著、毎日新聞出版、2023年)を読む。

「何も期待するな。些かも楽観するな。」

「~現代日本社会にあっても、一般に“正直者”は損をする。」

「暗部はしばしば見て見ぬ振りをされる。」

「~いわば内面の結節点とした自分は、尿漏れパッドをつけた“ご高齢者さま”なんかといっしょにされたくないのだ。」

「~チキショウめ、老いるとは“屈辱”なのか。」

「即ち、“運命”には逆らっても逆らわなくても、どのみち流されてしまうこと。」

「~明日を憂えず、未来を語らず、ひたぶるに目先の“いま”のみに生きること。」

「貯金をせず、借金もしないこと。」

「いま、人がおかしくなっている。」

「失念と忘却は自然の流れなのであり、ことさらに嘆き悲しむことでもないと強がっている。」

「樹には心がある。」

「人間のすべての知識のなかでもっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、人間に関する知識である」

「戦争の足音が聞こえる。たぶん幻聴ではない。」

「~“力による現状変更”実行の先輩は日本であった。」

「戦争のない世界というのがかつてあっただろうか?」

「~歩行とは、独居生活継続のための“あがき”にも似た抵抗である。」

「世界が、事もなげに崩れてゆく・・・・」

「記憶の薄れより、当面の転倒が怖い。」

「どうやら詰んだな」

「~希望はない。あるいは、ほとんどない。」

「老人のように見えてしまえば、実年齢がいくら若くたって老人なのだ。」

「まっとうに生きるのに、必死なんだよ。」

 


 

ランチ240401

■ランチ240401

 だいぶ暖かくなって来た。そろそろ実家の後片付けを再開しなければならない。いや、その前に銀杏が無くなったので保存してある実の皮を剥かなければならない。いや、その前にクルミの処理が中途半端なので終わらせたい。
 そうこう考えていると昼時が近づいて来る。昼食は、決めていなかった。
 ようやく銀杏を処理し、さあ昼は何にするかと考えはじめた時に、知人のTさんからランチのお誘いが入る。
 全くリーチ、一発、間2筒(カンリャンピン)ドラ2の満貫の気分であった。
 今日は、車が無いというと迎え来て頂いた。
 いつもは、知人のTさんお勧めの店に連れて行ってもらうが、今回は自分が決めることになった。
 頭の中で検索エンジンを回した。
 すると、何回か店の前を通っていたら、いつも駐車場が満車に近いとんかつ屋さんを推薦した。
 知人のTさんは、知っていたが入ったことはないとのことでここにした。
 幸い、日替わりランチがあったので素直に従った。
 感動だったのはご飯が炊きたてで御釜の状態で出て来たことである。

 おまけに、ごはん、キャベツ、味噌汁は、おかわり可能と書いてある。
 数年前の自分なら、キャベツと味噌汁と肉半分でご飯をお代わりしていただろうが、とてもお代わりする必要がないくらい満足感が高かった。

 

 食後は、自分の行きつけの■■■に入る。
 ここでも感動があった。
 ショートコーヒーを二つ頼んだら、スタッフは急に、小声になり、一つはワンモアにしましょうか、と来た。
 勿論、お願いした。そして、知人のTさんに差額を受け取ってもらった。
 今日も、充実した一日であった。

■「きょうはそういう感じじゃない」(富沢章夫著、河出書房新社、2023年)を読む。

「だが、常に人は少し先を考えなくてはいけない。」

「好きでばかをやっているのではない。」

「必ず反対者はいる。」

「肥満が原因で心臓に負担がかかり体調を崩す恐れもある。」

「無知とは恐ろしいものだ。」

「人はときとして、どうでもいいことでからだを痛める。」

「頼まれていないのにやる。それが人生だ。」

 

 

筋違い

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■筋違い
 ものの本には、高齢者の運動が書かれている。激しい運動はなく、座ったまま手足を伸ばしたり、身体を捻ったりが中心である。
 自分は、コーヒーショップで実践することが多い。特に、居眠りした後は、必ずと言っていいほどこの、体操というかストレッチを行う。
 やはり硬い。背中で、手を結ぶことを目標にしているが、右も左も結べない。昔は、どっちかが出来たと記憶している。
 そのうち、筋違いになることをある。周りにさとられないように懸命に癒やす。まあ、これは基本的には筋肉なのでまだいい。
 恐ろしいのは、骨が原因の、関節の強張りや激痛である。救急車を呼びたいほどの痛みが多い。先日、大病院で見てもらったら、軟骨の擦り減りが原因で治療方法が無いと告げられた。

 平たく言えば老化ということだろう。
 長い時で30分ほど激痛に耐えなければならない。必ず緩和するということが分ったことが大きい。

■「平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること」(三浦綾子著、フォレストブックス、2022年)を読む。(その3)

「人間というものは、人に尽くしてもらったからといって、それほどありがたがるものではないのである。」

「人生においての不可解な一つに、まじめに生きている人が大変な苦難に遭うということがある。」

「私たち人間は、不幸や事故に出会ったことを、すなわち当人の行為の結果だと思いやすい。」

「ちょっと高みにに上れば、全くちがった景観が繰り広げられることに気がつかないのである。」

「教えることは恐ろしい以外の何ものでもなかった。」

「神ならぬ天皇を神として教え、人間の罪悪の極限である侵略戦争を聖戦と称し、その聖戦に協力することを教えた教師は、乞食になってしかるべしと思ったのである。」

「おちぶれて袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ知らるる」

「死んだ者のことは、ほおっておいてくれ。」

「爆弾ぐらいは手で受けよう」

「~わたしは本をつとめて多く読むようになった。」

「自分にとって大事なのは自尊心であって、他の何ものでもない。」

「人間はその人間にふさわしい事件に出会うものだ」

「平凡なことを平凡に詠いつつ学びしは真実に生きると言うこと」

「そこには、どんな時でも自分の人生を投げ出してはならないという強いメッセージがあった。」

「~私たちは“平凡”や“日常”がいかに大切で貴いかを思い知らされた。」

 

横入り

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■横入り
 まったく、こういう人間にはなりたくはないという場面に2回遭遇した。
 スーパーでレジ待ちが出来る。この列に横入りしたお婆さんがいた。
 一人目は、小さな身長の方で自分の後ろに付いた。特徴は、体をリズミカルに上下させていることだ。しばらくして、気が付くと自分の前に並んでいるではないか。
 二人目は、確信犯である。あるスーパーでは、レジが2台稼働することを考えて、少し離れだ場所が、レジ待ちの先頭になる。今回も婆さんである。自分が、レジ待ちの先頭にいたが、前の人が終わるやいなやそのままレジに入ってしまった。しかし、レジの方は見ていたので、後ろに並んで下さいと言っているのが聞こえた。婆さんは、ちゃんと並んだと、しつこく応答している。レジの担当者は、次の自分にチラ見して、婆さんのを処理し始めた。
 こういう人達には、常識とはマナーなどは、通じない。もう、人生も終わるので、怖いもんなどないのである。
 過去の横入りを思い出した。
 自分たち家族は、周辺のホテルの最上階に宿泊することになっており、終わるまでディズ二ーランドに居た。最終のバスにも長蛇の列が出来ていた。自分たちは、最後尾に付いた。何台目かのバスのときに、前の方で騒動が起きた。誰かが横入りしようとし、それを咎めた人達との口論であった。
 いい身なりをしたお父さんであった。こっちも、腹がたったが、我慢していた。ホテルは、専用カードがないとエレベーターが動かない階であった。予約時にここしか空いてなかっただけであったが、家族にはリッチな気分を味わってもらえた。いちばんは、朝食が最上階で食べられることであった。下のように並ばなくてもいい。しかし、前のテーブルには、昨晩横入りした男性とその家族がいるではないか。心なしか、他の客とは目を合わせないようにしているようだった。
 まあ、家族旅行は台無しになったに違いない。

■「平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること」(三浦綾子著、フォレストブックス、2022年)を読む。(その2)

「謙遜とは、自分の姿をあるがままに見ることのできる人ですよ」

「いまより後のことは神の領分だ」

「自分は賢い。自分つは思慮ぶかい。自分は慎重だ。自分は用意周到だ。」

「一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

「人間、なかなか、無欲にはなれないものですね」

「この自分の本音は何か。ほんとうにそう問いただされるのは、老人になった時のような気がする。」

「私は癒えぬまま死ぬだろうと思った。」

「お前の病気は絶対治らない」

「人間はその時点、その時点でものを考える。」

「自分の足で立てず、手で箸さえも持てないという状態を、私たちは一日でも辛抱できるだろか。」

「艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。そして希望は失望に終わることはない」

「療養中は、常に毎日のようにどこかが悪かった。」

「弱く生んですまなかったなあ」

「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」

「~人に尽くすのに忙しくて、死ぬひまさえない~」