中央植物園

■中央植物園
 朝から寒い日であった。天気予報では雪だるまが出ている。人間、体を冷やしては毒なのでできればこのまま引きこもりたいと思っている自分と、自分で決めた療養期間でやることをやれという自分との葛藤があった。
 昨日は歩いていないので、今日は、歩こうと考えていたが、天候が悪いので近くの、中央植物園に行くことにしていた。
 暖冬の異常気象と言われていても冬に草花が咲き乱れているはずはなく、目当ては野鳥である。ここには、大きな池が2つあり、野鳥観察ポイントである。
 しかし、まっすぐに行くのはもったいないので、有沢線から神通川堤防を通り、婦中大橋(100円橋)から向かうことにした。
 寒いためか、公園ごとに用を足した。
 ①ダイサギ。 途中の川にいたので至近距離で撮れた。ノートリである。(図鑑更新)

 ②ホオジロ。 これは、腹が茶色なのでホオジロである。神通川の川縁にいた。(図鑑更新)

 中央植物園に到着した。ミゾレである。ここは有料であるので自動機で入場券を買う。冬季機関は300円である。
 池にはたくさんの野鳥がいた。分かるものは、カルガモオオバンコガモオナガハモ。
 ③オナガガモ。 

 中では、企画展をやっている。干支にちなんだ植物である。
 ④サルトリイバラ。 これは、名前にサルが入っているので説明は不要である。

 ⑤ヒカゲノカズラ。  これは、説明書きを読まないと分からない。ある地方ではサルにちなんだ呼び方をするようだ。

 帰りは雨がひどくなっていたが、シャムネコモモさんからの情報で高速道路下にホオジロガモがいたとの情報でそのまま神通川へ向かう。雨風がひどく、傘はまともにさせない。
 ⑥カワアイサのメス。 だいぶ目を凝らした(双眼鏡が出てこない)がカルガモばかりであった。目当てのホオジロガモには出会えなかったのでカワアイサのメスを撮る。

 今日の徒歩時間は約5時間で、出費は390円(トイレを借りるためだけに入った。)+300円(中央植物園入園料)であった
■「いつも心に音楽が流れていた」(柳田邦男著、平凡社、2009年)を読む。
「まことに歌は、いのちのエネルギー源だと実感した」
「胸をかきむしらんばかりの苦しみ、悲しみを抱え、そこから逃げずに必死に生きようとするその人生そのものが『癒し』だと思う」
「〜頭の中に天から文字が降って来る〜」
「〜自然の風景から思索のモチーフを得ようと毎日ニ十キロも三十キロも歩きまわる行動〜」
「専門家によると、スピリチュアル・ペインとは、自分の人生や生きることの意味や目的、自分の価値観、大事な人たちとの人間関係、死後の世界などについて、確信の持てる答えが見つからなくて苦悩している状態を指す。」
「いくつになっても(何か新しいことを)創めることを忘れない生き方、こそ、若々しい老い方だ」(日野原重明
「〜本を読み、深く考えるという心の習慣が〜大きく成長させた。」
「自分の存在や自分の過ごしている時間というものが、何千年というスケールの氷河の流れと比べたら、実に小さく、一瞬に過ぎないものであることを全身で感じることができた瞬間に、人は心底から謙虚な気持ちを持つようになるものである。」
「すべてのものに平等に、同じ時が流れている」
「死は人を謙虚で敬虔にし、人が生きていくうえでいちばん大事なものは何かを教えてくれる」
「自分の病気をあるがままに受け容れ、他者のために体験を生かそうとする前向きな心の持ち方〜」
サルスベリは『百日紅』と書く。百日紅は『ひゃくじつこう』とも読む。」
「ケータイ・パソコンを捨てて、野にでよう」
「子供たちをおかしくしているこの国のあり方、親のあり方、情報環境と文化のあり方、すべてを考え直さないと、この国の未来はないだろう。」
「四季の貌(かお)」
「〜先のことを心配するより、とりあえず今日、明日を生きようと考えることが大切です」
「彼らが何千キロも飛ぶ目的はただ一つ、それは生きるためだ」
「はじめに言葉があった。言葉は文脈とともにあった。」
「〜一人の人間が七十年、八十年と生き抜くのは大変なことだ〜」
「子どもが失敗から学んだり、自らの痛い思いから他者を傷つけるとどうなるかを学んだり、やってはいけないことの自己抑制力を身につけたりする機会を、家庭でも学校でも奪ってしまった」
「〜子供たちに『ごちそうさま』と言わせるのはおかしい。『給食費を払っているのだから、お礼を言う必要はないのではないか』」
「そうなれたらいいなあ」
「地貌とは、その土地の貌(かお)、つまりその土地ならではの季節感、風景、生き物、生活、仕事、祭りなどを表す言葉たちだ。」
「標準語にはなく俳句歳時記にも載っていない『地貌季語』」
「〜貧しさの中にあっても、限られた生活環境の中で、ひたすら美しいもの、精神的なものを求めていた〜」